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2017年度春旅行 4日目

石倉班/京都
朝、寝坊したので朝食を食べた後すぐに走って清水寺に行き、見学した。その後、大石本廟に行き、見学しようと思ったが、手水舎で口を水ですすいだときに、気分が悪くなったので、しばらくそこの待合室で休んでいた。
次に、近くの河井寛次郎記念館を見学した。見学後、昼食をとりながら島津創業記念資料館に向かい、見学した。その後、京都市歴史資料館を見学し、京都御苑を見た後、たまたま近くに来ていたバスに乗って銀閣寺へ。
銀閣寺では、特別拝観期間中だったので、本堂の見学をした。その後、バスに乗って京都駅に帰還した。ホテル到着は5時半ごろ。

小川班/神戸
急遽途中まで川崎班と行動をともにすることにして、8時30分ごろ出発し、9時30分ごろ三宮駅に到着し、最初に北野異人館街に向かった。
最初に風見鶏の館に向かった。異人館の代表格的な邸宅であり、ドイツ風の装飾と、その中で存在感を放つ東洋風の家具が印象的であった。
次に萌黄の館に行った。ライムグリーンの外壁塗装が目に眩しいこの館の内装は、外観に反して重厚であり、特に暖炉のタイルが見事であった。
ついで向かったうろこの家は、入館料が高いうえ、現在の持ち主によって隣にうろこ美術館という建物が建っており、あまり良い印象を持てなかった。文化財保存の難しさを感じる。
その後向かった山手8番館が曲者である。アフリカ、西洋、古代タイ、ガンダーラの像や絵画やタペストリーが所狭しと並んでおり、カオスな面白さがあった。こういう変な場所に行ってみるのも楽しい。
ここらで川崎班と別れて、神戸回教寺院(モスク)に向かった。モスクの中に入るのは初めてであったが、係りの人に丁寧に説明していただき、知識を深めることができた。
異人館街周辺で見るものは見たので、海岸に向かい、商船三井ビルディングなど、近代的なオフィスビルが数多く残る地域を散策してから、中華街で昼食をとった。
一息ついた後、旧兵庫県庁に向かったが、開館していなかったので、班員との協議の結果、早めに市街を離れ垂水区の舞子駅に向かった。ここはすぐそばを明石海峡大橋がかかっており、迫力に圧倒されつつ孫文記念館に向かった。
孫文記念館は華僑の豪商呉錦堂の邸宅であり、孫文が亡命時などによく訪れていたらしい。特に塔屋部の、中華文明と西洋文明が渾然と一体化した内装に心を奪われた。この部屋は全国的にも珍しい金唐革紙という壁紙を使っており、その意味でも貴重な場所であった。
次いで近辺にあった、鐘紡中興の祖といわれる武藤山治の邸宅を見学した。ベランダが印象的なコロニアル様式の外装と重厚な内装が特徴的であった。ここでガイドの方と意気投合して、名刺までいただいたことが本日のハイライトである。
最後に木下家住宅に向かった。直線的なモダニズムのインテリアで統一されたすっきりとした応接室と、隅々まで細やかに気配りがなされた日本家屋が特徴の素晴らしい邸宅だった。
ここですっかり満足して京都へと帰っていった。駅到着は18時ごろか。

松野下班/奈良
予定通りに京都駅を出発し、奈良県は柳本駅。
一人班のため、計画では諦めた伊射奈岐神社を参拝した。この神社は延喜式に記される同名の2座の片方ある。境内には、神武天皇と明治天皇の遥拝所があった。
伝崇神天皇陵である行燈山古墳、33面の三角縁神獣鏡が出土した黒塚古墳に寄り道しつつ、渟名城入姫神社へと向かった。祭神の渟名城入姫命は、古来より天照大御神と共に宮中で祭祀されていた倭大國魂神を別所で祀るよう、崇神天皇より勅令を受けた人物同皇女である。初代斎主を務めたものの、崇神の系譜が倭の土着神である倭大國魂神ではないことから、疲弊して祭祀不能となってしまい、神託によって市磯長尾市(いちしのながおち)が後任となった。神社によると、渟名城入姫命を慕う心から創建したそう。
北西へ歩き、雅宮神社である。大和雅宮神社と間違えて参拝したが、興味深いところであった。境内には戦没者の慰霊碑や遥拝所があった。慰霊碑の半数以上を冬木姓が占めており、付近の日本家屋の多くが冬木家であることから、冬木氏は昔豪農か何かだったのではないかと推測される。
次に、大和神社だ。これは渟名城入姫命が遷御した倭大國魂神を祀る神社で、大日本帝国海軍の戦艦「大和」の守護神であることでも知られる。由緒には渟名城入姫命が遷御した旨のほか、遣唐使の航海祈願が行われたことも記されていたが、どの木札にも「付近に天理教教祖中山みきの生誕地がある」ことが書かれていて、さすが天理であった。境内は普通の神社であり、特筆すべきはなかったように思う。
次に向かったのは夜都岐神社である。境内はたいこ山という前方後円墳であり、武甕槌命を主祭神とする神社だ。参拝すると、奥から声がしたので行ってみるとおじさまがおり、少し話をした。彼によると、付近に住む10人のみが神社の整備をしているそうで、なかなかに大変ということだった。また、近隣の風景が段々と変わっていくことに関して、日本の最初期から続くこの地だからこそ、伝統を引き継いでいくべきだという考えを持っており、変化受容しつつも伝統を守っていくことの大切さについて、改めて考えさせられた。
そこから山の辺の道沿いに歩き、途中で都祁山口神社によりつつ石上神宮へ向かった。この神社は物部氏の氏神、布都御魂神が祀られており、記紀にも記述の見える日本最古の神社である。また、古来から鶏が神使とされているため、境内にはたくさんのコケコーがいらっしゃり、非常に煩かった。ちなみにこの神社、昔は斎宮がいて、布都姫がその任についていたという記述が見られるのだが、この女性は某作品の登場キャラの元ネタとされる。そんな石上神宮の境内は広い方ではなかったため、比較的早く参拝を終えられた。この時点で11時であり、調べると、春日大社まで15㎞=徒歩3時間であった。すなわち、ここから徒歩で春日大社へむかっても、予定より早くに到着できることに気づいたため、歩くことにした。
途中、山邉御縣座神社(やまなべのみあがたにますじんじゃ)、祝田神社、石上市神社、和爾下神社、和爾坐赤阪比古神社、森神社、嶋田神社、穴栗神社、御前原石立命神社(みさきはらいわだてのみことじんじゃ)といった式内社を巡りつつ、春日大社へ向かった。
春日大社には一度行っているので、軽く挨拶をするのみだった。日曜のためか観光客が多く、皇大神宮とは違って作法もお粗末なため、ヴァチカンに来た敬虔なキリスト教徒はこんな気分なのだろうか、などと考えつつの参拝だった。
帰りがけに式内社の率川神社を参拝し、京都へ帰還した。到着時間は、ホテルに着くまでは1800と思っていたが、後輩に1700だと指摘されたので1700である。
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