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2017年度春旅行 3日目

小川班/大阪
班員の寝坊により出発が遅れ、予約していた綿業会館に集合時間ほぼぴったりに到着した。
綿業会館は、紡績業の事業主の社交場として作られ、用途に応じて様々な歴史的様式を使い分けており、非常にきらびやかであった。特に貴賓室が圧巻であり、クイーン・アン様式を用いた直線的なデザインの部屋に、曲線を多用した家具が調和しており、宝石箱の如く輝いていた。見学終了後ここでそのまま昼食をとり、ゆっくりと次の行程に向かった。
船場、中之島の近代建築は、現在でも使用されているケースが多く、内部の見学ができないため、ガイドブックにある近代建築を片っ端から訪れていった。
途中大阪府立中之島図書館にて、大阪の居留地に関する講演会が開催されることを知り、これに参加した。内容は寝てしまい覚えていない。
図書館を出た後散策を再開し、あらかた見終わったところで帰った。京都駅到着後続けて外食をとったので到着が遅れた。宿到着は18時前か。

松野下班/大阪・有馬
京都駅を発ち、大阪府堺市の三国ケ丘駅へ。仁徳天皇陵大仙古墳を始めとした古墳群を眺めつつ、方違(ほうちがい)神社へと向かう。
この神社は崇神天皇の勅令を起源とし、後に応神天皇が方違宮として創建した。このあたりは三国ケ丘と呼ばれる地域で、これは駅名にもなっているが、摂津、河内、和泉の三国の堺にあたる地であり、そのため、古来より方違えのご利益があるとして親しまれた。2000年以上の歴史を誇る神社だが、焼失の憂き目に幾度も遭っており、社殿は比較的新しいものだった。
そこから西方に歩き、開口(あぐち)神社である。この神社も相当の歴史を持っており、起源は神功皇后による祭祀だという。祭神の1柱、塩土老翁神は住吉三神と関わり深いとされ、住吉三神を祀る住吉大社の起源も神功皇后の勅令であることから、住吉大社と同時期の創建だと推測される。境内には地元の高校の発祥である旨が書かれた(神仏習合により、寺子屋が開かれていたか?)石碑や生家が付近にある与謝野晶子に関する歌碑などが設置されており、地域との密着が見て取れた。
宿院駅から南海電鉄で、住吉鳥居前駅である。住吉大社は全国的に有名な神社で、そのためか外国人観光客も多くいた。住吉三神の名で知られる底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)を祀る住吉大社は航海や海運に縁がある神社として人々の信心を集めており、歴史的に見ても、幕府や武士から厚い信仰を受けたとされる。社殿は3つあり、それぞれ住吉三神のうち一柱ずつを祀っているが、これは同じく海運を司る宗像三女神が鎮座する宗像大社と同様の構造である。また、境内には大日本帝国海軍の軽巡洋艦「加古」の元乗組員によって奉納された加古の絵画や、海上自衛隊隊員によって航海祈願がなされた絵馬など、軍事の方面からの信仰も厚いことを伺わせるものがいくつかあった。住吉大社を参拝後、住吉大社創建以前から鎮座するという生根神社を訪れた。
粉浜駅から平野駅へ移動しようとしたのだが、新今宮駅で乗り換えミスを犯したため、先に放出駅へ行くことにした。
放出駅から徒歩数分にある阿遅速雄神社を参拝した。この神社は祭神である阿遅鉏高日子根神がこの地に降臨したことのほか、草薙剣が盗難された際に、盗難者が嵐に出会って剣を放り投げたことを起源とすると伝えられる。また、地名である放出はここから来ているらしい。しかし、境内にはこうした由緒や逸話などの記された文書が全く存在せず、残念だった。
放出駅を南下して、平野駅で下車。駅から少し歩いたところに杭全神社はある。この神社は延喜式には記載されておらず、なぜプランに組み込んだかは自分でも不明だ。神社によると、9世紀平安時代に牛頭天王が勧請されたのが創建という。その後、後醍醐天皇によって熊野三所権現が勧請されたことで、現在の形になったそうだ。境内は拝殿を中心に本殿や摂末社などが取り囲む構造になっており、公園と隣接することもあってか、地域の人々に親しまれているようだった。
次に参拝した香具波志神社も同様に、延喜式には記載されていないが、平安時代の創建である。社名は、孝徳天皇が歌で「香し」と詠んだことから。こちらもなぜプランに含めたのかは不明である。
加島駅から、いくつか乗り継いで有馬へと至った。遅めの昼食を摂ったあと、康貴という温泉処で一休みした。その前に、観光案内所で温泉むすめのパネルを撮影し、感慨に浸った。
さて、康貴であるが、この湯はこじんまりとした浴室ながらも、源泉かけ流しの金泉・銀泉が愉しめることで知られており、訪れてから入浴するまでに少々時間を要した。入ってみると、金泉の方が高温であり、また、濃度が高いためか少し肌がピリピリするような感覚に襲われた。しかし、それは効能の裏返しであり、金茶色に濁った金泉が持つ本来の癒やしの力を味わうことができた。一方銀泉は、温度が比較的低く、湯に透明感があるため、金泉よりも入りやすいような気がした。個人的にはあまり好きな温度ではなかったが、金泉と銀泉に交互に入ることでより長く楽しむことができた。
康貴を出て、自分としては別の温泉へ行っても良かったのだが、班員が十分だというので、自由行動に移行した。自分は有馬の土産物屋などを物色し、そこで発見したパッケージが温泉むすめのデザインである「炭酸せんべい」と試食担当のお姉さんがやけに強く勧めてきた「金泉焼」を購入した。「炭酸せんべい」は有名だが、「金泉焼」は生八つ橋に近い食感をした焦し醤油風味の生菓子であり、ほどよく弾力のある生地とその中に包まれた甘さ控えめの粒餡とが絶妙なコラボレーションを見せる、よい菓子であった。
京都へ帰還する途中で西宮神社に立ち寄った。えびす様を祀ることで有名だが、主目的は某作品の聖地巡礼である。予定を立てる際にJRの駅と阪神電鉄の駅を取り違えたために、駅からの時間を誤ってしまっており、若干エクストリーム気味の参拝となった。ちなみに、類似した別の場所と間違えており、聖地巡礼は結果的に失敗であったことが後に判明した。
東海道本線快速と新快速で京都へ帰還し、ホテル到着は1940頃。
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