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2017年度春旅行 2日目

石倉班/京都
8:45にホテルを出て、徒歩で二条城へ行き、11:20まで見学した。
次に、徒歩で茶道資料館まで行き、13:00まで見学し、近くのバス停からバスに乗り、風俗博物館まで行って、14:00まで見学した。その後、近くの龍谷ミュージアムを見学し、無料だったので西本願寺を拝観したが、時間の無駄だった。
最後に、京都学校歴史博物館に向かい、17:00まで見学し、ホテルに向かった。
ホテル到着は17:23。

小川班/京都
班長の寝坊があり8時40分ごろ出発。
まず京都府庁旧本館に向かった。ルネサンス様式の華麗な建物であるが、ガイドの方の話によると、レンガにモルタルを塗って外壁を作っているため、大地震が来たら崩落する可能性が高いとのこと。早目に見学できてよかった。
その後京都御所を伝って三条通りに向かった。この通りは多くの近代建築が残っており、我々の目を楽しませてくれた。古い建物が今なお使われ続けているのは嬉しい。
班員の要望により、ここで箸休めに平安神宮に向かった。新しい建物ではあるが、広大な敷地と平安京を模したと言われる建物の迫力に圧倒された。
次いで加茂川を渡り、南禅寺に向かったが、お目当ての水路閣を見た後は簡単に境内を一周してさっさと無鄰菴に向かった。ここは山縣有朋の別荘であり、洋館の一室で日露戦争時の外交政策についての会議が催されたらしい。そっけない外観に反する狩野派の壁画が目を引いた。
この時点で昼時を過ぎていたため、かねてより望んでいた長楽館で昼食をとった。村井財閥の迎賓館であった建物は現在高級レストランになっており、値段もプレミアムであった。
時間が押していたので予定を変更し、乙訓郡の大山崎山荘に向かった。黒く輝く木材が美しく、館内に多くあった時計とともにサスペンスドラマのような雰囲気を醸し出していた。
見たいものは見終わったので宿に帰った。到着は17時20分頃。

松野下班/奈良
6時50分に班員の屋慶名くんとともにホテルを出発し、京都駅からJRで金橋駅へと向かった。
金橋駅から徒歩20分ほどに、宗我坐宗我都比古神社(そがにますそがつひこじんじゃ)はある。この神社が祀る曾我都比古神と曾我都比売神で、その神名や、近世における神社の異称が「入鹿宮」であることなどから、この2座は丁未の乱で有名な豪族蘇我氏の氏神とされている。そのため、この神社が所在する奈良県橿原市曽我町のあたりが蘇我氏の根拠地なのではないか、とする説が有力である。境内には特筆するような点はなく、古代から続く神社としては一般的な規模であるとの印象を受けた。ちなみに、最寄り駅である真菅駅の「菅」は「蘇我」が変化したものだと言われている。
宗我坐宗我都比古神社を参拝した後は、真菅駅から橿原神宮前駅へと移動する予定だったのだが、予定していた電車に乗り損ねてしまった。なので、あらかじめ購入していた朝食にありつきつつ、次の列車を待つことにした。
予定より20分ほど遅れて橿原神宮前駅に到着し、徒歩で橿原神宮へ向かう。橿原神宮は神武天皇即位2600年を記念して、神武天皇が政を執った畝傍橿原宮の跡地に創建された神社で、祭神は神武天皇とその皇后媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)である。境内は無駄に広く、どちらかと言えば東大寺を思わせるような作りとなっていた。こちらも特筆すべき点はないが、末社である長山稲荷社では手水舎にセンサーが設置されており、手水舎前に人が立てば自動で水が流れるのは興味深かった。
橿原神宮を発ち、近鉄を経由して等彌神社へ足を向けた。この神社は、神武天皇が皇祖神すなわち天照大御神を鳥見山へと祭祀したことが由緒とされ、平安時代に編纂された『延喜式神名帳』にも記載のある神社である。古くより鎮座地は鳥見山だったが、土砂崩れによって山麓へと社殿を移したという。山麓であるためか境内は緑が多く、神聖な雰囲気を生み出していた。
徒歩で三輪駅に行き、付近の蕎麦屋で昼食をとった後、大神神社を参拝した。大神神社は「三輪明神」として厚い信仰を受けており、記紀にその起源が記述される、古式ゆかしい神社である。祭神は大物主神で、付近の箸墓古墳に埋葬される倭迹迹日百襲姫が妻となったことでも知られる。境内には多くの建造物があったが、なかでも拝殿は金と黒の装飾をあしらいながらも清楚な佇まいを忘れない、大変自分好みであった。境内を散策していると、「山の辺の道」という奈良盆地周辺を周遊するハイキングコースの存在を知り、ちょうど目的地とも合致していたので、つぎの檜原神社へはそれを利用することにした。
檜原神社へは貴船神社、狭井神社などの神社に立ち寄りながら向かった。檜原神社は「元伊勢」といわれる、こちらも古式ゆかしい神社である。この「元伊勢」というのは、神宮が倭姫命や豊鍬入姫命によって現在の地におかれる前の鎮座地であることに由来し、そのため、主祭神は天照大御神であることはもちろん、配神として豊鍬入姫命が祀られている。
倭迹迹日百襲姫が祭神である神御前神社を参拝しつつ、箸墓古墳を見にいった。この古墳は宮内庁によってその被葬者を倭迹迹日百襲姫に治定されており、また、考古学的観点からは古墳の特徴から卑弥呼墓と比定されている。ここから倭迹迹日百襲姫=卑弥呼というのは現在では定説となりつつあり、実際の初代天皇が崇神天皇であるという説も導かれている。
途中、国津神社という神社を参拝した。この神社の祭神は天照大御神と素戔嗚神が誓約によって生んだ8柱のうち、男神である5柱を祀っている。この神社は纏向川の傍にあるが、川の下流に残りの3柱を祀る神社があることから、纏向川を誓約に登場する川に見立てているとされ、神話を再現しようと試みた古代の人の信心に感服した。また、国津神社の裏手にはホケノ山古墳という古墳があるが、地元ではこの古墳に豊鍬入姫命が埋葬されていると伝えられているという記述があり、興味深かった。
最後に、穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)を参拝した。この神社は倭姫命(あるいは景行天皇)によって鎮座したと伝えられており、神社によると祭神は御食津神であるというが、実際は定かにはなっていない。昔は同質の神社が巻向山山中に2社あったが、どちらも焼失したため、この神社には三つの社がある。また、参拝しようとしたところ、手水舎の水底に土砂がたまっていたので、清めるのはあきらめた。
その後巻向駅へと歩いてゆき、JRで京都駅へと帰還した。ホテル到着は1830過ぎ、総歩行距離は14kmであった。
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