スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016年度春旅行2日目

U田班
班員の予定であったT田が抜けたので、班員が減った。特急で高知へ向かい、駅を出ると坂本龍馬や中岡慎太郎など高知出身の有名人がが出迎えてくれた。竜馬学園という怪しい施設のそばを通りながら高知城へ進んだ。鉄筋コンクリート造りの名古屋城や大坂城とは違い、木製であった。中は資料館のようになっており、功名が辻、龍馬伝など、高知が舞台となった大河ドラマに沿った内容を主軸にした展示だった。木製だからか内装は劣化していて、床板が沈んだり大黒柱がボロボロだったりなど、何時壊れるのか不安になった。高知の歴史についての展示もあり、その中に財政改革の話しもあった。3回あった内の2回目の改革で藩主が自己批判したとの記述があり、その精神に感動した。展示を見て最上階に行き、景色を見た。
次に、高知城のすぐそばにある高知歴史資料館を見学した。高知城と違ってとても綺麗な内装で、点字もパネルなどハイテクなものが多かった。高知の地理や歴史、坂本龍馬などの偉人についての展示があった。龍馬が甲冑や兜を好んでいたようで、多くのコレクションが展示されていた。シルクハット風やちょんまげ付きのもの、うさ耳兜など、面白いものも沢山あった。
高知歴史資料館を出て歩いていると山内一豊の像があったが、側にいた猫をかわいがっていたために写真を撮影するのを忘れてしまった。
ひろめ市場で昼食を摂りながらWBCを観戦し、試合終了間際で高知駅へと戻った。
鈍行で琴平に行く途中、スイッチバックがあり、感動した。
琴平に到着後、金刀比羅宮に行こうかという話になったが、横切った黒猫につられて寄り道をしてしまったために断念した。
ホテル到着1800。

T田班
体調不良のため、山本医院という病院で診察して頂いた。先生が丁寧で、料金も1700円と良心的だった。
診察後、高松市でうどんのフードファイトを行った。思ったよりも食べることができず、残念だった。
高松城跡を散策した。内容については、S山班で説明されているので割愛する。天守がないのに石垣と階段だけ復元していて、金の使いどころを間違っているような気がした。
散策後、香川県立ミュージアムへ向かった。展示が5つあり、その内2つは美術展示だった。展示では、空海の一生についての説明や、日露戦争に出世する息子に呼びかける母親という美談が国定教科書で悪用された逸話などが開設されていた。
高松駅から電車で坂出へ移動し、香風園という日本庭園を散策した。
香風園で休憩した後、坂出市塩業資料館を見学した。大きい資料館ではなかったが展示が3つあり、経典を埋めた経塚についての展示があった。これは末法思想において、56億7千年後に顕現すると言われた弥勒菩薩のために経典を埋めたものだそうだ。また、久米通賢という人物についての展示もあった。大坂で学んだ天文学や鉄砲の開発、土木事業などで高松藩に貢献した人物であるようで、日食の観測記録や当時使用された望遠鏡が展示してあった。資料は全て原文のままで、読むのを諦めた。
坂出市郷土資料館は塩業資料館に比べて小さく、農作業に使われた道具、昭和初期のラジオなどがあった。坂出は江戸時代からあまり農作が上手くいかなかい土地柄であったため、塩田などの収入源を確保しようとした人が多かったようだ。
坂出から電車で琴平へ戻る途中、善通寺ー琴平間の接触事故によって足止めを食らった。
ホテル到着2000。

T班
電車の時間が合わなかったので、時間つぶしも兼ねて金刀比羅宮を参拝した。金刀比羅宮の祭神は海上交通の神さまで、江戸時代に西回り航路の人たちが中心となって信仰を集めたようだ。大門をくぐり、階段を登った。門の手前には土産屋が多くあったが奥は五人百姓の屋台のみで、しかも占いや飴があるはずの屋台に2人しかおらず、二人百姓となっていた。785段ある階段だが、奉納された石碑が多すぎたとかで余計に曲がりくねって段数が多くなったようだ。本宮参拝後、展望台で休憩した。天気が良くいい眺めだったため讃岐富士が見えたが、瀬戸大橋は見えなかった。多数決で奥宮を参拝することが決定し、片道30分の階段を登った。途中、ミカン農家が所有している農業用車両があり、乗りたかった。奥宮を参拝すると、一部の班員の体が限界に近かったためさっさと降りた。金刀比羅宮には笑顔元気くんという宮司が描いたキャラクターがいたが、どう見ても3歳児が描いた絵にしか見えなかった。 
下山の途中にアルミ缶を再利用した船があり、太平洋横断に使用したとの説明があった。宝物館は改装中で入れなかった。
琴平駅から高松へ向かった。
駅を出てレンタサイクルを利用した。料金は100円で、駅周辺に幾つかあるポートのどこでも利用、返却が可能で、とても便利だった。栗林公園に向かおうとしたが、ついでに香川県庁舎(東館)に入った。丹下健三氏による設計で、耐震壁、コアシステムやなど、当時の最新技術を詰め込んだものになっていた。スッキリした空間設計で、県民に優しい施設構造だった。
栗林公園では自由行動にした。当初は1330集合だったが、1400集合に変更した。高松市内での予定がなくなったため、丸亀へ向かい、まず丸亀城址(亀山公園)を散策した。石垣が特徴的な末広型で、綺麗に完成している箇所と鑿の線だけが入っていてで切断するのを忘れていたの両方があった。本丸に到着し、通用口だった入り口から中に入ると軽い資料館のようになっていた。戦乱後の平和な時代に造った城のため、ほとんどが居住用だった。
結構時間が余ったので港へ黄昏に行った。近くにうちわの湊ミュージアムという施設があることを発見したため、見学した。丸亀うちわは丸亀の伝統工芸品で、金毘羅参りの出発点だった丸亀においてお土産として広まったようだ。全国シェアの90%を誇るらしいが、疑わしかった。実演コーナーがあり、見学していた時は持ち手の節を切る作業をやっていた。展示コーナーではやたらでかいうちわや芸能人のサイン入りうちわなど多彩なうちわが展示されていた。うちわ萌えキャラなるものもいた。
丸亀から琴平へ、電車とバスで帰還した。
ホテル到着2000。

S山班
0835に高松に到着し、レンタサイクルで栗林公園へ向かった。鶴亀松という松屋、皇族やイギリス王室らが植えた木があった。おすすめのモデルコースの一つである60分コースを回った。
次に、高松市図書館と併設されている歴史資料館へ行った。高松市の歴史が展示されていて、ボタンを押すと光って中身が分かる構造になっている高松藩の船などの模型があった。
菊池寛記念館では、芥川賞を作った人物である菊池寛の説明や歴代受賞者の展示があった。
昼食を摂ろうとしたが、変なところに行ってしまった。なので、近くにあった高松城へ。一部工事中だったが、重要文化財などの建物や庭園があった。 
昼食にうどんをたべ、高松平家物語資料館に向かった。1階では四国出身の偉人を、2階では平家物語を説明していた。平家物語の一場面を語らせた人形へ行ったなどがあり、福原に遷都した清盛が妖怪に驚くシーンや、安徳天皇の入水があった。
ホテル到着は2000。

T神班
0806発の電車で大歩危駅へ移動した。0858のバスでかずら橋へ行ったが、見た目ただの橋だった。平家の残党が祖谷で橋を切り離し、追っ手を避けるための懸けたという。渡るとかなり危なく、下が丸見えで多くの班員が怖がっていた。
川辺でオリエンテーリング的な何かをし、渡れなかった源氏が琵琶を弾いて嘆いたと言われる琵琶の滝を見た。
バス停に戻ってバスの時刻表を見ると、次のバスがだいぶ先だったので案内人に近くにある観光地を尋ねるとなぜか温泉宿を紹介された。
山を登って、平家屋敷へ向かった。平家屋敷という名前がついてはいるものの平家は関係なく、安徳天皇の医者の逃避先であっただけのようだ。
大歩危峡へ行き、川下りができる遊覧船に乗った。船頭に話を聞くと川は吉田川の支流で、地質学的に珍しいものであるようだ。また、三大暴れ川である話や吉野川は竹の色素が滲みだしているために緑色をしている話などを聞いた。
30分歩いて大歩危駅に戻った。
ホテル到着1720。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

麻布学園地歴部

Author:麻布学園地歴部
他校の社会科系サークルとの相互リンクを募集しています。コメントにてご連絡お願いします。

画像や文章の無断転載は禁止します。

最近の記事+コメント
カテゴリ
検索フォーム
カレンダー(月別)
08 ≪│2018/09│≫ 10
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
リンク
訪問者数
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。