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2016年度夏合宿3日目

U田班
タクシーで仙台駅まで行き、作並駅を経由してシャトルバスでニッカウヰスキー宮城峡蒸留所へ向かった。
ニッカウヰスキーは朝ドラのまっさんで有名な竹鶴政孝氏を創始者とする日本有数のウイスキー製造者で、その蒸留所はウイスキーの本場スコットランドに近い気候の北日本だけに作られている。
製造所を一通りみたかったが、時間がなかったので途中で抜け、シャトルバスで戻った
ホテル到着1845。

K藤班
本八戸で降りて市内を散策した。すると噂コーナーなるものがあり、そこで八戸市内の店や観光地、家に関する噂が並べてあった。
八戸のメインストリートであるらしきみろく横丁 へ行ったが夜しか活動していないのか殆んどの店にシャッターが降りていた。
モスで昼食を摂り、八戸城跡へいった。
城門が再築されていて、門を抜けるとそこは休憩所だった。
八戸に存在する神社で最古のものと言われ、三社大祭が開かれる龗(おかみ)神社で祭りに使われる神輿を見、義経北上ルートの1つで義経婦人の手紙が残っている伝説や神殿の基礎は切り株という噂を聞いて八戸駅近くにあるゆーとりーにいった。土偶のレプリカがあり、一番まとも八戸内でもっともまともだった。
ホテル到着1845。

K島班
タクシーで仙台駅へいった。交通量がに少なく、予定より早く着いた。
平泉でコインロッカーに荷物を預け、巡回バスで中尊寺へ。
中尊寺の秘佛である一字金輪佛頂尊の御開帳を行っていたので見、金色堂を参拝した。
早めに見終わったので予定の2本前のバスにのって平泉駅に戻った。
ホテル到着1845。

T田班
昼食を摂り、盛岡城跡へ向かって1㎞歩いた。途中、開運橋があり、二度泣き橋という別名があった。これは、盛岡に来る際の故郷との別れ、盛岡をでる際の盛岡との別れで二度悲しいというものらしい。
盛岡城は建物がなかったが、石垣がすべて残っていて、その美しさから日本百名城にも選ばれている。漢文で書かれた石碑を谷口さんが読んでいた。
本丸には元々南部藩の殿様の銅像があったが、軍の召集で溶かされてしまい、現在は台座だけ残っていた。
近くの桜山神社を参拝すると、敷地内に烏帽子岩があった。盛岡城築城の際に掘ったら出て来て、縁起がいいのでそのまま残されたらしい。
盛岡市資料館スルーし、盛岡銀行の旧本店へ。この建物は東京駅丸の内口設計者が同じで、それを示すかのように二つの建物は酷似していた。有料部分と無料部分があったので無料の方を回った。西洋風の上下引き扉やシャンデリア付の吹き抜けの執務室があった。
帰りに原敬別邸跡に寄った。原敬が売ったので現在は現七十七銀行になっているが、庭石の一部が残されていた。
ホテル到着1845。

H班
小牛田、一ノ関、盛岡、、八戸を経由して浅虫温泉へ。
先ずはホテルに荷物を預けて遊歩道を歩き、頂上の陸奥湾展望所で休憩して適当に下山した。思ったより東にずれてしまったが下山した先に縁結び地蔵があり、側の道を進むと水族館があったので休憩した。
国道4号線に沿っていくと八大竜神宮に着いた。参拝しようとすると入り口から急勾配だった。新調されていたので中も綺麗かと思いきや新調されていたのは入り口だけだった。進むと西洋風の建物があり、中に神棚と神具が安置してあったが鳥居がないので拝殿ではなかったと考え、さらに進むと古い鳥居とフェンスの扉があり、「参拝の方はこの扉を開けて入ってください」とかかれていた。奥に進むとあさむしワンダーランドという元遊園地の廃墟があり、そこで行き止まりのようだ ったので戻った。
三内丸山遺跡のようなオブジェを横目にホテルに帰った。
ホテル到着は1830。
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