7/25(水) 旅行  3日目

宿を9時頃出発し、地下鉄で三ノ宮へコインロッカーに荷物を預けて地下鉄海岸線で神戸海洋博物館へ
1階には模型とカワサキワールドが、2階には神戸港の歴史の展示があった
精巧な帆船の模型に真珠を飾り付けたものが豪華に展示されていて、責任者の正気を疑った
三ノ宮に戻ってからポートライナーでUCCコーヒー博物館へ
個人的には様々な抽出方々があるのが興味深かった
950円のコーヒーを飲んでみたが、造詣が深いわけではないので違いがイマイチわからなかった
時間の都合で六甲オルゴールミュージアムは諦めることに決め、三ノ宮に戻った
そしてこの班の一番の目的であるかつめしを優雅に食べ、倉敷へ
途中トラブルがあったせいで倉紡記念館と日本郷土玩具館が閉まってしまうことが事前にわかっていたため、備前焼を売っている陶備堂に寄って香炉を買い、新倉敷のホテルに向かった
到着は19時前
3日目 一人班。一ノ谷に行った後、備前焼ミュージアムと備前刀剣博物館などをまわる。刀の製作現場、方法など様々なことを学ぶことが出来た。到着 18:00
3日目 明石城・津山城
 8時30分集合であったが、班長自ら寝坊してしまい、慌てて神戸駅に向かった。そこからまずは明石城に向かった。
 明石城は、西国の外様大名の抑えとして築かれた城であり、10万石弱の大名にしてはかなり大規模な城郭であると感じた。そこから明石市立文化博物館に向かった。館内では大別して明石原人と近世の城下町としての明石について解説していた。明石原人は初耳だったので興味深かった。また、特撮についての展示があり、特に古い映画のポスターに惹かれた。
 その後明石駅に戻り岡山まで乗り継いだが、ここで津山線が一部区間で運行を停止していることに気づき、振替輸送を利用しつつ津山駅まで向かった。これにより観光時間が1時間ほど減ってしまったので、城西浪漫館は諦め津山城のみを観光することにした。
 津山駅から15分ほど歩き津山城に向かった。ここは、森蘭丸の弟森忠政による築城であり、壮大な石垣群に圧倒された。縄張りとしては、防御力の高い枡形門を多用しており、極めて堅固な城塞であることが見て取れた。一方で、城内の施設で唯一復元された備中櫓は、内部が御殿風のつくりとなっており、畳敷きで茶室まで備えた優美なつくりが新鮮であった。全国的にも極めて珍しい例らしい。
 ここで電車の時間が迫っていたので足早に城を去り駅に戻った。駅到着は19時40分ごろか。

7/24(月)旅行 2日目

神戸の異人館街を巡った。午後はUCCコーヒーミュージアムに行ってコーヒーの歴史などを学んだ。到着 16:00 
2日目 泉南・堺
 宿を7時45分に出発し、神戸駅から列車を乗り継いでまず岸和田城に向かった。
 岸和田城は岸和田藩の政庁が置かれた場所であり、往時は5重の天守閣があったが、現在は3重の復興天守になっており、別段面白みはなかった。ただ、城内の八陣の庭は独創的な形をしており興味深いものであった。
 城を出て自泉会館に向かった。ここは地元の寺田財閥が市民のために寄付したものであり、綿業会館の一室とよく似ていると感じた。しらべるとどうやら同じ建築家の仕事らしいことがわかった。
 その後岸和田を出て田尻歴史館へと向かったが、長期閉館の最中であったため、失意の内に計画を変更し、ゆっくりと大仙古墳へ向かうことにした。途中駅舎のステンドグラスが見事な蛸地蔵駅を鑑賞した。
 古墳に向かう前に、近隣で古墳カレーを食べた。ほとんど民家のような様子であり、店員の方もフレンドリーであった。帰り際代金を払い忘れていたことに気づき、あわてて引き返した。
 その後堺市博物館で古墳や戦国時代の自由都市堺について学んでから、ガイドを受けつつ大仙古墳を見学した。堀において赤い藻が大量発生して血のようであったのが印象的だった。
 見るべきものを見たのでその後はゆっくりと神戸に戻った。到着は18時前か。
神戸 ムスリム モスク
1935年に建てられた日本最初のモスク。
神戸大空襲や阪神淡路大震災を免れて現存する。
兵庫県公館
1902年に県庁舎として建てられたが、第二次世界大戦で外壁を残して全焼、今は割と近代的で残念。今は迎賓館と県政資料館として、歴史や文化の展示が行われている。
シルクロード絨毯ミュージアム
六甲アイランドにある。西はトルコ、イランから中国、日本までシルクロード各地の手織り絨毯を集めたミュージアム。班員が数千万円はしそうな絨毯で寝てしまい、出て行ってもらわなあかんと言われる。
谷崎潤一郎記念館
谷崎潤一郎が執筆を行なったのは、別の屋敷だったが、かれの生い立ちや、彼が実際に書いたものが展示されていた。
有馬温泉に行った。

 2018 7/23(月) 旅行 1日目

今回は2つの班からしか行動が送られてこなかったので、掲載はひとまず2つになります。今朝新大阪に到着し、今日は神戸に宿泊しています。
新大阪に到着後、三ノ宮駅へ向かう。ここで来訪予定の箱木千年屋が休館であると知り、肩を落としつつ北野異人館街に向かった。風見鶏の館、萌黄の館は一度訪れたことがあるが、やはり暖炉まわりのマントルピースやタイルを見るのは楽しい。その後向かった山手八番館は みすず学苑の広告のような内容で、様々な地域・時代の美術品が脈絡なく置いてあった。その後中華街で昼食を取った後、神戸税関に向かった。ここは現在工事中であったが、税関の仕事を学ぶことができる展示室を見学することができた。班員の体力が限界であったため、ここで行程を終え帰った。到着は17時前か。
新大阪から淀屋橋駅
大阪府立中之島図書館 1904年に住友財閥の住友家により大阪府に寄贈され建築された。
大阪市中央公会堂  
1911年に大阪の株式仲買人の岩本栄之助が100万円の寄付をして、それを元に建てた。辰野金吾や片岡安(かたおかやすし)が携わっている。給食大会でホールは入れず。
新大阪から三ノ宮
デリカテッセン
高級な肉とかハム。
村上春樹のダンス・ダンス・ダンスに登場するので行ってみたかった。ロイヤルコペンハーゲン
イタリア館 
もともとは永住しない外国人向けの借家だったが、日本人が買い取って、住んでいる。
その人が集めたイタリアの彫刻家の家具や、各国のホテルの食器。マリーアントワネットのテーブル。
プールサイドから見るとイタリア風なのでこの前がついた。
ベンの家
ハンターのベンさんの家。北極熊やいろんな虎、鷲など。屋敷を残し冒険に出かけたきり行方不明に。
洋館長屋
イタリア館と同様に外国人向けのアパートとして、治外法権が及んでいた旧居留地に建てられ、今の場所に移転。構造が長屋のようなのでこの名前。
英国館
医師の家族の住まいと診療所。英国館100周年でホームズの部屋をここに再現したいとして、小説内の部屋などを再現した。

お詫びとお知らせ

80代渉外です。

またまた私のさぼり癖が出てしまいました、大変申し訳ありません。
言い訳ではありますが、わが部活は恒常活動でも旅行でも、班ごとに活動の分かれることが多いので、そのすべてを把握しきるのは大変難しいのです。
班長の方に内容を送るように指示するというのも、旅行ならまだしも普段の活動となると、どこかで停止してしまうものですよね。まぁもうすぐ代替わりなので、全体的にまじめな次代は大丈夫でしょう!

部誌から来られた方もいそうなので、謝罪文(?)はここまでとして、今回まとめてアップした内容をお知らせします。
 1.冬旅行
 2.1月月例
 3.春旅行
 4.4月月例
 5.一般活動(ダイジェスト版)
以上、5つの報告を一気にアップしています。かなり面倒だと思いますが、閲覧していただければ嬉しいです。
 

第71回文化祭までの活動(ダイジェスト)

・須山班
城壁とジオラマの部品作りを並行して行う日々。


・松野下班
10月上旬
資料集め開始。テーマは19世紀のプロイセンの蒸気機関車であったが、インターネットや図書館では見つからず、途方に暮れる毎日だった。修業論文と時期が重なっていたことも要因の一つだろう。

10月中旬
インターネットでの英語検索を取得したところ、英国初の“Alamy”という電子ギャラリーのサービスを発見した。このサービスには博物館で展示されているような品々の詳細なスケッチなども収録されており、目的の資料もその一つにあった。
しかし、実際に普仏戦争で使用された車両ではないようだったので、資料探しは継続して行うことにした。

10月下旬
どうやら普仏戦争当時の車両というのはなかなか文献に残されていないようで、このころには自分の手が届く範囲では見つからないことを薄々と感じ始めていた。祖霊たちが里帰りする31日には諦めもつき、中旬に入手した資料をベースに進行すると決心した。

11月上・中旬
資料をもとに必要な部品を分析し、寸法を測りつつ種類ごとに図面を作成。前回のソ連展でも行ったものだが、今回はより正確な寸法を算出することに注力した。
そうと決まればすぐに、円柱の“ボイラー外殻”や“車輪”から部品を製作していった。しかし車輪には大変苦労させられ、「アスタリスク状に張り合わせた1mm角棒をバルサシートから切り出した2枚の輪っかでサンドする」とかいう工程を6回も繰り返さなければならなかった。期末試験1週間前にはおよそ半分ほどの部品が完成している状態であった。

冬休み
部品製作の続き。設計ミスによって部品が組み合わさらない、という事態が何度か起こったが、それでも冬休み明けには部品のすべてが完成していた。

1月中旬
すべてを組み合わせる前に、部品にジェッソを塗布していった。塗布前に軽くやすり掛けをしたおかげで、なかなかよい肌触りになった。

2月中旬
1月下旬2月上旬は某S連合の職務に追われていたため、作業はできなかったので、ようやくの塗装であった。はじめは単純に黒一色のつもりであったが、友人のY氏より助言を受け、Mr.Colorの「黒鉄色」を併用することにした。試しに混色してみると、黒が勝ってしまっただけでなく黒鉄色が固形化してしまったのでやむなく断念。重ね塗りで対応することにした。

春休み
春休みは車輪部分の塗装を行ったが、赤が思うように発色せず、3,4回ほどの重ね塗りをすることになった。
また、模型が少し寂しいように感じたので、石炭と水を運ぶ炭水車を新たに製作することにした。今回はちゃんとした資料がなかったのでいくつかの画像を参考に自分で構造を考えた。そのため綿密な寸法を測る必要がなく、工期は約1週間。突貫工事だったが、比較的上部にできたので個人的には満足である。

4月中旬
文化祭1月前を切ってラストスパート。全体的なブラッシュアップを行う予定だったが、客車を作りたくなったのでその製作と同時並行だった。
客車は構造こそ単純だったが、その分模様を描くのが非常に根気のいる作業であり、色付けしたりジェッソで上塗りしたりの繰り返しだった。それでもなんとか1週間程度で絵付けは終了し、組み合わせることができた。

4月下旬
忘れていた客車の車輪を作りつつ、細かいディテールを追加していった。最後まで後回しにしていた連結棒が想像以上にややこしく、結局は文化祭直前まで取り付けはできなかった。


・島本班
三月4週目および四月1週目
春旅行明けの作業。設計図が間違っていたことが、判明し書き直す。また、無くして書き直す。これらをそれぞれ2回ほど行う。そしてそれらをコピーして、その通りに木を切る。それらに場所合わせの支柱を貼り付け、その後粘土で船体の形を表すのを試みた。

四月2週目
春休みが明け、さらに作業に勤しもうとした日々の中で、ある衝撃的な事実が判明する。なんと、設計図が間違っていたのだ。それにより、春休み中の作業を全て無に返された私は、茫然自失とし、それを指摘した張本人である、Mr.小川に設計図の作業を丸投げした。
しかし、幸いにも春休み中に購入した資材の大きさはほとんど問題なかったため、それらを用い主にオールの大量生産、船体を構成する重要なパーツである、設計図通りの板を作る、などの作業を行った。また、今後また何かのすれ違いが起こらないようにするため、情報の管理を徹底した。マスト作った。それを壊した。

4月3週目
板を全て完成させ、粘土貼ってジェッソ塗った。間違っていた高さへの認識を改めた。甲板にニス塗った。きった。やすった。マスト作った。ぬのきった


・松浦班
4月第1週
アルミパイプを切る
第2週
バルサで部品を作る
第3週
バルサで部品を作る
第4週
別のアルミパイプを切る、木と紙粘土で本体を作る


・曹班
2月21日
買い出し
2月23日
発泡スチロールで土台づくり
3月28日
粘土の層を塗る
4月10日
粘土の高低作り
4月13日
粘土の修正
4月17日
旗づくり,粘土の修正
4月24日
ジェッソ塗り、買い出し
4月25日
スプレー、ジオラマ作り
4月27日
ジオラマ作り
4月28日
ジオラマ修正
4月29日
地名、行軍図を書き込む

2017年度春旅行 4日目

石倉班/京都
朝、寝坊したので朝食を食べた後すぐに走って清水寺に行き、見学した。その後、大石本廟に行き、見学しようと思ったが、手水舎で口を水ですすいだときに、気分が悪くなったので、しばらくそこの待合室で休んでいた。
次に、近くの河井寛次郎記念館を見学した。見学後、昼食をとりながら島津創業記念資料館に向かい、見学した。その後、京都市歴史資料館を見学し、京都御苑を見た後、たまたま近くに来ていたバスに乗って銀閣寺へ。
銀閣寺では、特別拝観期間中だったので、本堂の見学をした。その後、バスに乗って京都駅に帰還した。ホテル到着は5時半ごろ。

小川班/神戸
急遽途中まで川崎班と行動をともにすることにして、8時30分ごろ出発し、9時30分ごろ三宮駅に到着し、最初に北野異人館街に向かった。
最初に風見鶏の館に向かった。異人館の代表格的な邸宅であり、ドイツ風の装飾と、その中で存在感を放つ東洋風の家具が印象的であった。
次に萌黄の館に行った。ライムグリーンの外壁塗装が目に眩しいこの館の内装は、外観に反して重厚であり、特に暖炉のタイルが見事であった。
ついで向かったうろこの家は、入館料が高いうえ、現在の持ち主によって隣にうろこ美術館という建物が建っており、あまり良い印象を持てなかった。文化財保存の難しさを感じる。
その後向かった山手8番館が曲者である。アフリカ、西洋、古代タイ、ガンダーラの像や絵画やタペストリーが所狭しと並んでおり、カオスな面白さがあった。こういう変な場所に行ってみるのも楽しい。
ここらで川崎班と別れて、神戸回教寺院(モスク)に向かった。モスクの中に入るのは初めてであったが、係りの人に丁寧に説明していただき、知識を深めることができた。
異人館街周辺で見るものは見たので、海岸に向かい、商船三井ビルディングなど、近代的なオフィスビルが数多く残る地域を散策してから、中華街で昼食をとった。
一息ついた後、旧兵庫県庁に向かったが、開館していなかったので、班員との協議の結果、早めに市街を離れ垂水区の舞子駅に向かった。ここはすぐそばを明石海峡大橋がかかっており、迫力に圧倒されつつ孫文記念館に向かった。
孫文記念館は華僑の豪商呉錦堂の邸宅であり、孫文が亡命時などによく訪れていたらしい。特に塔屋部の、中華文明と西洋文明が渾然と一体化した内装に心を奪われた。この部屋は全国的にも珍しい金唐革紙という壁紙を使っており、その意味でも貴重な場所であった。
次いで近辺にあった、鐘紡中興の祖といわれる武藤山治の邸宅を見学した。ベランダが印象的なコロニアル様式の外装と重厚な内装が特徴的であった。ここでガイドの方と意気投合して、名刺までいただいたことが本日のハイライトである。
最後に木下家住宅に向かった。直線的なモダニズムのインテリアで統一されたすっきりとした応接室と、隅々まで細やかに気配りがなされた日本家屋が特徴の素晴らしい邸宅だった。
ここですっかり満足して京都へと帰っていった。駅到着は18時ごろか。

松野下班/奈良
予定通りに京都駅を出発し、奈良県は柳本駅。
一人班のため、計画では諦めた伊射奈岐神社を参拝した。この神社は延喜式に記される同名の2座の片方ある。境内には、神武天皇と明治天皇の遥拝所があった。
伝崇神天皇陵である行燈山古墳、33面の三角縁神獣鏡が出土した黒塚古墳に寄り道しつつ、渟名城入姫神社へと向かった。祭神の渟名城入姫命は、古来より天照大御神と共に宮中で祭祀されていた倭大國魂神を別所で祀るよう、崇神天皇より勅令を受けた人物同皇女である。初代斎主を務めたものの、崇神の系譜が倭の土着神である倭大國魂神ではないことから、疲弊して祭祀不能となってしまい、神託によって市磯長尾市(いちしのながおち)が後任となった。神社によると、渟名城入姫命を慕う心から創建したそう。
北西へ歩き、雅宮神社である。大和雅宮神社と間違えて参拝したが、興味深いところであった。境内には戦没者の慰霊碑や遥拝所があった。慰霊碑の半数以上を冬木姓が占めており、付近の日本家屋の多くが冬木家であることから、冬木氏は昔豪農か何かだったのではないかと推測される。
次に、大和神社だ。これは渟名城入姫命が遷御した倭大國魂神を祀る神社で、大日本帝国海軍の戦艦「大和」の守護神であることでも知られる。由緒には渟名城入姫命が遷御した旨のほか、遣唐使の航海祈願が行われたことも記されていたが、どの木札にも「付近に天理教教祖中山みきの生誕地がある」ことが書かれていて、さすが天理であった。境内は普通の神社であり、特筆すべきはなかったように思う。
次に向かったのは夜都岐神社である。境内はたいこ山という前方後円墳であり、武甕槌命を主祭神とする神社だ。参拝すると、奥から声がしたので行ってみるとおじさまがおり、少し話をした。彼によると、付近に住む10人のみが神社の整備をしているそうで、なかなかに大変ということだった。また、近隣の風景が段々と変わっていくことに関して、日本の最初期から続くこの地だからこそ、伝統を引き継いでいくべきだという考えを持っており、変化受容しつつも伝統を守っていくことの大切さについて、改めて考えさせられた。
そこから山の辺の道沿いに歩き、途中で都祁山口神社によりつつ石上神宮へ向かった。この神社は物部氏の氏神、布都御魂神が祀られており、記紀にも記述の見える日本最古の神社である。また、古来から鶏が神使とされているため、境内にはたくさんのコケコーがいらっしゃり、非常に煩かった。ちなみにこの神社、昔は斎宮がいて、布都姫がその任についていたという記述が見られるのだが、この女性は某作品の登場キャラの元ネタとされる。そんな石上神宮の境内は広い方ではなかったため、比較的早く参拝を終えられた。この時点で11時であり、調べると、春日大社まで15㎞=徒歩3時間であった。すなわち、ここから徒歩で春日大社へむかっても、予定より早くに到着できることに気づいたため、歩くことにした。
途中、山邉御縣座神社(やまなべのみあがたにますじんじゃ)、祝田神社、石上市神社、和爾下神社、和爾坐赤阪比古神社、森神社、嶋田神社、穴栗神社、御前原石立命神社(みさきはらいわだてのみことじんじゃ)といった式内社を巡りつつ、春日大社へ向かった。
春日大社には一度行っているので、軽く挨拶をするのみだった。日曜のためか観光客が多く、皇大神宮とは違って作法もお粗末なため、ヴァチカンに来た敬虔なキリスト教徒はこんな気分なのだろうか、などと考えつつの参拝だった。
帰りがけに式内社の率川神社を参拝し、京都へ帰還した。到着時間は、ホテルに着くまでは1800と思っていたが、後輩に1700だと指摘されたので1700である。

2017年度春旅行 3日目

小川班/大阪
班員の寝坊により出発が遅れ、予約していた綿業会館に集合時間ほぼぴったりに到着した。
綿業会館は、紡績業の事業主の社交場として作られ、用途に応じて様々な歴史的様式を使い分けており、非常にきらびやかであった。特に貴賓室が圧巻であり、クイーン・アン様式を用いた直線的なデザインの部屋に、曲線を多用した家具が調和しており、宝石箱の如く輝いていた。見学終了後ここでそのまま昼食をとり、ゆっくりと次の行程に向かった。
船場、中之島の近代建築は、現在でも使用されているケースが多く、内部の見学ができないため、ガイドブックにある近代建築を片っ端から訪れていった。
途中大阪府立中之島図書館にて、大阪の居留地に関する講演会が開催されることを知り、これに参加した。内容は寝てしまい覚えていない。
図書館を出た後散策を再開し、あらかた見終わったところで帰った。京都駅到着後続けて外食をとったので到着が遅れた。宿到着は18時前か。

松野下班/大阪・有馬
京都駅を発ち、大阪府堺市の三国ケ丘駅へ。仁徳天皇陵大仙古墳を始めとした古墳群を眺めつつ、方違(ほうちがい)神社へと向かう。
この神社は崇神天皇の勅令を起源とし、後に応神天皇が方違宮として創建した。このあたりは三国ケ丘と呼ばれる地域で、これは駅名にもなっているが、摂津、河内、和泉の三国の堺にあたる地であり、そのため、古来より方違えのご利益があるとして親しまれた。2000年以上の歴史を誇る神社だが、焼失の憂き目に幾度も遭っており、社殿は比較的新しいものだった。
そこから西方に歩き、開口(あぐち)神社である。この神社も相当の歴史を持っており、起源は神功皇后による祭祀だという。祭神の1柱、塩土老翁神は住吉三神と関わり深いとされ、住吉三神を祀る住吉大社の起源も神功皇后の勅令であることから、住吉大社と同時期の創建だと推測される。境内には地元の高校の発祥である旨が書かれた(神仏習合により、寺子屋が開かれていたか?)石碑や生家が付近にある与謝野晶子に関する歌碑などが設置されており、地域との密着が見て取れた。
宿院駅から南海電鉄で、住吉鳥居前駅である。住吉大社は全国的に有名な神社で、そのためか外国人観光客も多くいた。住吉三神の名で知られる底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)を祀る住吉大社は航海や海運に縁がある神社として人々の信心を集めており、歴史的に見ても、幕府や武士から厚い信仰を受けたとされる。社殿は3つあり、それぞれ住吉三神のうち一柱ずつを祀っているが、これは同じく海運を司る宗像三女神が鎮座する宗像大社と同様の構造である。また、境内には大日本帝国海軍の軽巡洋艦「加古」の元乗組員によって奉納された加古の絵画や、海上自衛隊隊員によって航海祈願がなされた絵馬など、軍事の方面からの信仰も厚いことを伺わせるものがいくつかあった。住吉大社を参拝後、住吉大社創建以前から鎮座するという生根神社を訪れた。
粉浜駅から平野駅へ移動しようとしたのだが、新今宮駅で乗り換えミスを犯したため、先に放出駅へ行くことにした。
放出駅から徒歩数分にある阿遅速雄神社を参拝した。この神社は祭神である阿遅鉏高日子根神がこの地に降臨したことのほか、草薙剣が盗難された際に、盗難者が嵐に出会って剣を放り投げたことを起源とすると伝えられる。また、地名である放出はここから来ているらしい。しかし、境内にはこうした由緒や逸話などの記された文書が全く存在せず、残念だった。
放出駅を南下して、平野駅で下車。駅から少し歩いたところに杭全神社はある。この神社は延喜式には記載されておらず、なぜプランに組み込んだかは自分でも不明だ。神社によると、9世紀平安時代に牛頭天王が勧請されたのが創建という。その後、後醍醐天皇によって熊野三所権現が勧請されたことで、現在の形になったそうだ。境内は拝殿を中心に本殿や摂末社などが取り囲む構造になっており、公園と隣接することもあってか、地域の人々に親しまれているようだった。
次に参拝した香具波志神社も同様に、延喜式には記載されていないが、平安時代の創建である。社名は、孝徳天皇が歌で「香し」と詠んだことから。こちらもなぜプランに含めたのかは不明である。
加島駅から、いくつか乗り継いで有馬へと至った。遅めの昼食を摂ったあと、康貴という温泉処で一休みした。その前に、観光案内所で温泉むすめのパネルを撮影し、感慨に浸った。
さて、康貴であるが、この湯はこじんまりとした浴室ながらも、源泉かけ流しの金泉・銀泉が愉しめることで知られており、訪れてから入浴するまでに少々時間を要した。入ってみると、金泉の方が高温であり、また、濃度が高いためか少し肌がピリピリするような感覚に襲われた。しかし、それは効能の裏返しであり、金茶色に濁った金泉が持つ本来の癒やしの力を味わうことができた。一方銀泉は、温度が比較的低く、湯に透明感があるため、金泉よりも入りやすいような気がした。個人的にはあまり好きな温度ではなかったが、金泉と銀泉に交互に入ることでより長く楽しむことができた。
康貴を出て、自分としては別の温泉へ行っても良かったのだが、班員が十分だというので、自由行動に移行した。自分は有馬の土産物屋などを物色し、そこで発見したパッケージが温泉むすめのデザインである「炭酸せんべい」と試食担当のお姉さんがやけに強く勧めてきた「金泉焼」を購入した。「炭酸せんべい」は有名だが、「金泉焼」は生八つ橋に近い食感をした焦し醤油風味の生菓子であり、ほどよく弾力のある生地とその中に包まれた甘さ控えめの粒餡とが絶妙なコラボレーションを見せる、よい菓子であった。
京都へ帰還する途中で西宮神社に立ち寄った。えびす様を祀ることで有名だが、主目的は某作品の聖地巡礼である。予定を立てる際にJRの駅と阪神電鉄の駅を取り違えたために、駅からの時間を誤ってしまっており、若干エクストリーム気味の参拝となった。ちなみに、類似した別の場所と間違えており、聖地巡礼は結果的に失敗であったことが後に判明した。
東海道本線快速と新快速で京都へ帰還し、ホテル到着は1940頃。

2017年度春旅行 2日目

石倉班/京都
8:45にホテルを出て、徒歩で二条城へ行き、11:20まで見学した。
次に、徒歩で茶道資料館まで行き、13:00まで見学し、近くのバス停からバスに乗り、風俗博物館まで行って、14:00まで見学した。その後、近くの龍谷ミュージアムを見学し、無料だったので西本願寺を拝観したが、時間の無駄だった。
最後に、京都学校歴史博物館に向かい、17:00まで見学し、ホテルに向かった。
ホテル到着は17:23。

小川班/京都
班長の寝坊があり8時40分ごろ出発。
まず京都府庁旧本館に向かった。ルネサンス様式の華麗な建物であるが、ガイドの方の話によると、レンガにモルタルを塗って外壁を作っているため、大地震が来たら崩落する可能性が高いとのこと。早目に見学できてよかった。
その後京都御所を伝って三条通りに向かった。この通りは多くの近代建築が残っており、我々の目を楽しませてくれた。古い建物が今なお使われ続けているのは嬉しい。
班員の要望により、ここで箸休めに平安神宮に向かった。新しい建物ではあるが、広大な敷地と平安京を模したと言われる建物の迫力に圧倒された。
次いで加茂川を渡り、南禅寺に向かったが、お目当ての水路閣を見た後は簡単に境内を一周してさっさと無鄰菴に向かった。ここは山縣有朋の別荘であり、洋館の一室で日露戦争時の外交政策についての会議が催されたらしい。そっけない外観に反する狩野派の壁画が目を引いた。
この時点で昼時を過ぎていたため、かねてより望んでいた長楽館で昼食をとった。村井財閥の迎賓館であった建物は現在高級レストランになっており、値段もプレミアムであった。
時間が押していたので予定を変更し、乙訓郡の大山崎山荘に向かった。黒く輝く木材が美しく、館内に多くあった時計とともにサスペンスドラマのような雰囲気を醸し出していた。
見たいものは見終わったので宿に帰った。到着は17時20分頃。

松野下班/奈良
6時50分に班員の屋慶名くんとともにホテルを出発し、京都駅からJRで金橋駅へと向かった。
金橋駅から徒歩20分ほどに、宗我坐宗我都比古神社(そがにますそがつひこじんじゃ)はある。この神社が祀る曾我都比古神と曾我都比売神で、その神名や、近世における神社の異称が「入鹿宮」であることなどから、この2座は丁未の乱で有名な豪族蘇我氏の氏神とされている。そのため、この神社が所在する奈良県橿原市曽我町のあたりが蘇我氏の根拠地なのではないか、とする説が有力である。境内には特筆するような点はなく、古代から続く神社としては一般的な規模であるとの印象を受けた。ちなみに、最寄り駅である真菅駅の「菅」は「蘇我」が変化したものだと言われている。
宗我坐宗我都比古神社を参拝した後は、真菅駅から橿原神宮前駅へと移動する予定だったのだが、予定していた電車に乗り損ねてしまった。なので、あらかじめ購入していた朝食にありつきつつ、次の列車を待つことにした。
予定より20分ほど遅れて橿原神宮前駅に到着し、徒歩で橿原神宮へ向かう。橿原神宮は神武天皇即位2600年を記念して、神武天皇が政を執った畝傍橿原宮の跡地に創建された神社で、祭神は神武天皇とその皇后媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)である。境内は無駄に広く、どちらかと言えば東大寺を思わせるような作りとなっていた。こちらも特筆すべき点はないが、末社である長山稲荷社では手水舎にセンサーが設置されており、手水舎前に人が立てば自動で水が流れるのは興味深かった。
橿原神宮を発ち、近鉄を経由して等彌神社へ足を向けた。この神社は、神武天皇が皇祖神すなわち天照大御神を鳥見山へと祭祀したことが由緒とされ、平安時代に編纂された『延喜式神名帳』にも記載のある神社である。古くより鎮座地は鳥見山だったが、土砂崩れによって山麓へと社殿を移したという。山麓であるためか境内は緑が多く、神聖な雰囲気を生み出していた。
徒歩で三輪駅に行き、付近の蕎麦屋で昼食をとった後、大神神社を参拝した。大神神社は「三輪明神」として厚い信仰を受けており、記紀にその起源が記述される、古式ゆかしい神社である。祭神は大物主神で、付近の箸墓古墳に埋葬される倭迹迹日百襲姫が妻となったことでも知られる。境内には多くの建造物があったが、なかでも拝殿は金と黒の装飾をあしらいながらも清楚な佇まいを忘れない、大変自分好みであった。境内を散策していると、「山の辺の道」という奈良盆地周辺を周遊するハイキングコースの存在を知り、ちょうど目的地とも合致していたので、つぎの檜原神社へはそれを利用することにした。
檜原神社へは貴船神社、狭井神社などの神社に立ち寄りながら向かった。檜原神社は「元伊勢」といわれる、こちらも古式ゆかしい神社である。この「元伊勢」というのは、神宮が倭姫命や豊鍬入姫命によって現在の地におかれる前の鎮座地であることに由来し、そのため、主祭神は天照大御神であることはもちろん、配神として豊鍬入姫命が祀られている。
倭迹迹日百襲姫が祭神である神御前神社を参拝しつつ、箸墓古墳を見にいった。この古墳は宮内庁によってその被葬者を倭迹迹日百襲姫に治定されており、また、考古学的観点からは古墳の特徴から卑弥呼墓と比定されている。ここから倭迹迹日百襲姫=卑弥呼というのは現在では定説となりつつあり、実際の初代天皇が崇神天皇であるという説も導かれている。
途中、国津神社という神社を参拝した。この神社の祭神は天照大御神と素戔嗚神が誓約によって生んだ8柱のうち、男神である5柱を祀っている。この神社は纏向川の傍にあるが、川の下流に残りの3柱を祀る神社があることから、纏向川を誓約に登場する川に見立てているとされ、神話を再現しようと試みた古代の人の信心に感服した。また、国津神社の裏手にはホケノ山古墳という古墳があるが、地元ではこの古墳に豊鍬入姫命が埋葬されていると伝えられているという記述があり、興味深かった。
最後に、穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)を参拝した。この神社は倭姫命(あるいは景行天皇)によって鎮座したと伝えられており、神社によると祭神は御食津神であるというが、実際は定かにはなっていない。昔は同質の神社が巻向山山中に2社あったが、どちらも焼失したため、この神社には三つの社がある。また、参拝しようとしたところ、手水舎の水底に土砂がたまっていたので、清めるのはあきらめた。
その後巻向駅へと歩いてゆき、JRで京都駅へと帰還した。ホテル到着は1830過ぎ、総歩行距離は14kmであった。

2017年度春旅行 1日目

小川班/桑名
ムーンライトながら下車後、東海道線に乗り換えて7時30分ごろ桑名駅に到着。
朝食を済ませ9時ごろに六華苑に向かう。
六華苑は、不動産業・林業で財を成した諸戸家の邸宅であり、お雇い外国人ジョサイア・コンドルの設計である。空色の外壁と4階建ての塔屋が特徴的であった。
その後ガイドの方の話を聴いてから、揖斐川沿いに九華公園に向かった。此処は、桑名城跡ではあるものの、殆ど痕跡が残っておらず、普通の公園と変わらない状態だった。
九華公園を後にし、最後に石取会館に向かった。地元に伝わる石取祭について解説がしてあったが、規模が小さく見学にさほど時間を要さなかった。
電車の遅延や、悪天候もあり、京都市内観光は取りやめた。

須山班/京都
まず、等持院に行く。ここは庭園のみ。椿が印象的であった。尊氏の墓を見る。
次に、龍安寺へ。やはり石庭が印象に残るが、個人的には庭園の池に映った花(何かは知らない)が良かった。
次に、轉法輪寺に行く。ここでは大涅槃図が特別展示中であったが、その隣に展示してあった初代の布の裏(農民が唱えたものが書かれていた)。
次に、仁和寺に行く。仁和寺はマジで最高。襖絵が他にはあまり見られないようなものが多く、また石庭と池のコンビネーションが特に良かった。
次に、妙心寺に行く。ここでは自由行動。石倉と共に明智風呂、雲龍図の解説を聞く。関係ないが、ゆく年くる年の最初の鐘で、兼好法師も詠んだとされるものがあった。
嵐山へ。宝厳院に行く。苔と石のコンビネーションが非常にキレイだった。
天龍寺は自由行動。雨に降られる。

松野下班/伊勢
ながらを下車し、30分後の列車を待ったのだが、班員2名が誤って大垣ダッシュしてしまい、早くも脱落。同じ列車に乗車予定の小川班とまったり待つことにした。
名古屋駅で小川班と別れ、予定通り伊勢市駅に到着。コインロッカーに荷物を預けて豊受大神宮へと向かった。平日だからか参拝客はまばらで、さらに言えば無作法が目につく者ばかりであった。自分たちはああなるまい、と後輩に作法を教えながら参拝を済ませ、時計を見ると予定よりも幾分か早い時間だった。
このまま行けば他の場所にも行けるのでは?などと画策するも、焦らないように気をつけて皇大神宮を参拝した。こちらの参拝客を見ると作法をある程度身につけている者が多く、近年の神社仏閣ブームによって人々の意識が変わりつつあるのかと思い、少し嬉しく思った。
皇大神宮をあとにし、おはらい町通り伝いにおかげ横丁を目指す。前回来たときは人でごった返していたが、平日であるおかげか人は少なく、けれども喧騒が心地よい程度の混み具合だった。伊勢うどんの名店「ふくすけ」でめいめいの昼食を取った後、時間に余裕があったのでしばしの自由時間へと移行した。班長含め皆がお土産を購入し終えたところで集合し、次の目的地へと向かった。
猿田彦神社、宇治山田神社、月讀宮、倭姫宮と予定通りにめぐり、朝熊神社へとゆくことにした。倭姫宮から朝熊神社に至る途中、名状しがたい紋様を纏った猫に出会った(後の調べで、錆猫という種類の模様であることが判明)。やけに人馴れしており、こちらの動きに合わせた行動をするかと思えば、一定距離離れるともとの場所に戻ってしまう。定位置なのだろうか。尾がやたらと短いことから、交通事故に巻き込まれたのではと班員は分析するが、真偽の程は定かでない。
また、班員の疲労度が上がって来たため、途中の和菓子屋で休息を取ることにした。店員さんと少々談笑しつつの小休止は、疲労を回復させてくれたようだ。
朝熊神社を参拝して伊勢市駅に戻り、しばしの待機を経て帰路についた。ホテル到着は1830頃であったろう。JR線よりも近鉄のほうが便利であることに気づいた一日目だ。

2017年度冬旅行 5日目

岸本班/金沢
暴風雨のなか尾山神社に行き、御神籤を引くと大吉だった。
その後、金沢蓄音機館、泉鏡花記念館を見学後西茶屋に行って、飯を食い電車に乗り、名古屋へ

松浦班/岐阜
当初の予定を変更し岐阜に向かった。金沢から特急で岐阜に向かう予定だったが、強風によるダイヤ乱れと判断ミスにより一時間の遅れと2000円程度の損害を伴って岐阜に到着した。昼食をとった後バスで岐阜市歴史博物館に行き見学した。決して広くはなかったが充実した展示だった。
見学後は徒歩で長良川温泉に移動し入浴、休館日だったうかいミュージアムのカワウを眺めて川原町の街並みを歩いていたところ、雨が激しく降り始めたので退散した。名古屋駅には6時頃に到着した。

2017年度冬旅行 4日目

小川班/輪島
7時15分に出発。高速バスに乗って10時頃輪島に到着。まずは輪島キリコ会館に向かった。
この地のキリコとは切子灯籠のことを指し、祭りの際に担いで街を練り歩くらしい。係の人が親切にしてくださった。
次に工房長屋に向かい、ついで永井豪記念館にいった。原画などが飾ってあった。
その後輪島塗会館にいった。輪島塗の工程や作品について解説していた。時間がきたのでバスで上時国家に向かった。
この地の大地主であった時国家が江戸時代に28年間かけて建てたこの家は、折上格天井や金唐革紙を使うなど、非常に格式の高い家であった。また、音声ガイドやホームページなど、観光に力を入れていると感じた。
その後バスを乗り継いで金沢に向かった。
到着は18時ごろか。

島本班/福井・一乗谷
ます初めに、7時54分の福井行きの電車に乗って、9時25分に福井駅に降り立った。その際、青春18切符が残り2日分しかなかった僕は、PASMOで行ったのだが、なんということでしょう。福井駅はICカードが対応していなかったのです。まあそれはおいといて、福井駅についた後は、観光案内所へと行き、事前に調べたものよりもお得かつ、分かりやすい情報を得た。
そしてバスに乗ってまず初めに、福井県立歴史博物館に行った。そこでは、何故か展示が昭和から始まっており、非常に見難かった。内容の方はと言うと、福井県の全体の歴史について。笏谷石という石が福井を発展させたらしい。他にも、昭和の街並みを再現した展示もあった。
ここを出た後、再びバスに乗って今度は福井市立郷土博物館とそこの隣の養浩園に行った。庭から見たのだが、この庭は素晴らしかった。
そして、この建物に入ってリラックスをしていたら、唐突に強力な雨が降ってきたため、20分ぐらい余計に滞在していた。雨が弱まってきた頃に、隣の博物館へと行った。博物館は県立と違って量は劣るものの、被ってもいなければ、わかりやすくて素晴らしかった。あと無駄に凝ったゲームもあった。あれはレベル高かったな。その後、歩いて福井駅へと戻り、事前にコンビニで買っていた、昼食を各々食べた。そして、一乗谷朝倉氏遺跡というところに向かおうと、バス停にて待っていたのだが、直前にバス停を間違えていることに気づき、慌てて本物へと向かい、結果的に乗ることができた。
そこからまず、朝倉資料館に行き、朝倉氏遺跡について見た。この遺跡は400年もの間、ずっと土?に埋まってそのほとんどを保存していた。また、ここからは日本最古の将棋の駒が見つかっている。この将棋のルールは、今の将棋とほとんど同じだったが、酸象という駒があった。これを裏返すと、王と同等の力を持つ「太子」となって、王が捕られてもそのまま続行するらしい。
この資料館を見終わった後は、復原された城下町へと行った。この「復原」は、発掘したものから推定し、元の状態に戻すための修理であり、そのため間取り、奥行きといったものが再現されている。しかし、高さは分からなかったために、適当であるらしい。結構長かった。その後、交通機関を経て、金沢へと帰った。到着は6時50ぐらい。
*補足
笏谷石(越前青石)
足羽山から産出する火山礫凝灰岩。
めっちゃよく採れるから、古墳時代には豪族の石棺などに、戦国時代には朝倉氏が石屋大工を保護したことによって、石塔、石仏、暖房具や調理器具などが作られ、人々の生活に使われた。また、日本海側の至る所で分布が確認されており、このことから北前船の交易としての性格を持っていたことが分かる。

川崎班/金沢・内灘
10時ごろに金沢城に到着し一時間ほど見学した。高度な木造建築の技法や、海鼠壁の作り方、修復や城主の歴史について説明されていた。
11時ごろにすぐ隣の兼六園に向かい団子を食べた。12:30くらいまで、松の雪吊りなどを見学した後、徒歩で東茶屋街に向かいうどんを食べた。
そのあと抹茶と和菓子を別の店で食した。近江町市場に向かう予定だったが、そのまま北鉄金沢駅に向かい、北鉄で内灘駅まで行った。日本海を見るために内灘海岸をあるき、近くの温泉「ゆらら」に入浴した。
その後再び北鉄で内灘から北鉄金沢まで戻り、宿に戻った。到着は18:10ごろ。

岸本班/金沢
宿の女将さんにレンタサイクル手続きをして貰い、金沢城、兼六園、石川県立伝統工芸館へ、近江町食堂に寄って美味しい海鮮丼を頂いた後、県立博物館、石川護国神社、足軽資料館、武家屋敷野村家など見学後、東茶屋街で忍者寺を見ようとするも入館料1000円で断念、帰還した。

2017年度冬旅行 3日目

小川班/新潟
8時30分過ぎに宿を出発。班員に出発時刻を伝えていなかった。
バスの時刻も調べていなかったので、須山のリサーチに頼っていった。
北方文化博物館に向かったが、しまっていたので斎藤家別邸を見学した。天候が良く庭園を見ることができた。その後風の館を訪ねた。その後カトリック新潟教会に向かったが、ミサのため入れず、新潟駅に戻った。
到着は19時50分ごろか。

杉山班/金沢
新潟を8時半頃に出発して金沢に16時過ぎに到着。
旅館に荷物を預けた後、30分ほど歩いて金沢蓄音器館へ。溝と音波の関係やラッパによる響き方の違いなどがよく分かる展示でなかなか面白かった。
その後10分ほど歩いてひがし茶屋街へ。残念ながら金箔や皿に興味があまりなかったので、街並みの雰囲気だけ楽しんで旅館に帰る。
到着は18時前後

樋口班/糸魚川
0740の電車で新潟を出て1300過ぎに糸魚川駅到着、そこから歩いてフォッサマグナミュージアムへ。Googleマップの指示にしたがって歩いていたところヤベェ道に入り、合宿用の重いリュックサックとかスーツケースを持ったまま雪深いなか、倒木の下をくぐったり道じゃないとこを登ったりした。スーツケース持って登山どころかスーツケース持って遭難するはめになった。
フォッサマグナミュージアムについたところ職員が一時間に一本バスが通っていることを教えてくれ、また歩いてここまで来た人は初めて見たと驚いていた。フォッサマグナミュージアムはよく考えられていて金がかけられた非常に充実した展示だった。
その後隣接する長者ヶ原考古館に行った。客が他にいなかったので職員の方の非常に詳しい説明が聞けた。
1540のバスに乗って糸魚川駅に戻り、駅構内にある糸魚川ジオステーション・ジオパルに立ち寄った。糸魚川を走っていたキハ52や巨大ジオラマ模型が展示されていた。1655発の電車に乗りホテル到着1940。

岸本班/新潟
移動日なので時間が無かったが、さっと、ふるさと資料館、倶利伽羅峠埴生口などを見学、木曾義仲の銅像などがあった
観光案内所のおばちゃんの温情に助けられ、スーツケース登山せずにすんだのでホワイト班になりました。

曹班/富山
朝7:37発の特急に乗って直江津、泊を経由して富山に行った。12:01に富山に着いて、コインロッカーに荷物を預けた後、昼食を食べに行った。僕はラーメンを食べたが、塩が多すぎて、午後ずっと喉が渇いていた。ちなみにそのラーメン屋は富山で一番古いらしい。
路面電車の環状線に乗り、国際会議場で降りて、富山城に行った。城は思ったより小さくかつ現代的で、築城時から残っているのは一つの門だけらしい。城内の郷土資料館を見学しようとしたら、班員の猛烈な反対にあい、断念せざるを得なくなったので、その隣の庭園を暫く散策した。
その後、800mほど歩いて、ガラス美術館に向かった。富山市立中央図書館と併設されており、非常に立派だった。まず3、2階の特別展を見て、それから4、6階の常設展をまわった。瓶やグラスなどから、鉛筆、海藻などの形をした不思議なガラス作品まであり、非常に興味深かった。然し、椅子が多いせいか、班員が椅子を見つけた瞬間張り付いてしまい、休憩を4、5回取ってしまった。
ショッピングモール内のカフェでアイスを食べた後、市役所の展望台に向かった。70mの割にはかなり遠くまで見渡せ、能登半島も見えた。
市役所展望台の見学後、時間があったので、近くにある富山市立教育記念館に向かった。中には県の高校生がコンクールに出したロボットが展示されており、特に体験コーナーは非常に楽しかったまた、富山県出身のノーベル賞受賞者についての展示があり、面白かった。
駅まで歩いて、金沢まで行った。(17:44着)

2017年度冬旅行 2日目

小川班/酒田
6時前に出発し9時30分に酒田に到着。本間美術館に向かう。
美術館は特段良いものはなかったが、敷地内の清遠閣(本間家の別荘)は、和とモダンの趣の混ざった素敵な建物だった。
その後鶴岡に向かい、まず致道博物館に行った。多くの明治の建築があったが、展示内容には不満が残った。
その後、大宝館、致道館、最後にカトリック鶴岡教会を訪ね、帰途についた。
到着は18時ごろか。

樋口班/燕
燕班をたてる予定だった岸本が佐渡島に行ったので代わりにたてた
8時前の電車で弥彦へ、弥彦神社に行く。宝物殿を見る、めっちゃ刃渡りの長い刀とか延々と天皇の肖像画がある部屋があった。本殿に参拝してロープーウェーの乗り場へ。山頂まで行って、越後平野と日本海を見る。弥彦山の自然を展示した部屋とか見た。
ロープーウェーで下山し、弥彦駅から燕三条駅へ、1300ごろ燕三条到着。検索したところ当初岸本が行こうとしていた三条ラーメンが食べられる店の開店時間が短く、既に閉まっているようだったので別のラーメン屋に入る。注文したところで0030を1230と勘違いしていたことに気づく。
食べた後、燕市産業史料館に行く。キセルや洋食器があった。燕が金属器の生産で有名になる前、銅器の生産をしていたころ、弥彦で産出する銅を使っていたらしい。
歩いて燕三条駅へ戻ったところ一時間ほど時間が余ったのでお土産屋で一時間ほど時間を潰した。電車でもどってホテル到着1830。

松浦班/新発田
10時20分頃に新発田に着き、まず駅から歩いて清水園に向かった。清水園は北方文化博物館の分館という形をとっており、新発田藩主の溝口家下屋敷の庭園を引き継いだものだった。立派な回遊式庭園で、茶室や滝もあった。清水園の中には新発田藩に関する資料館と、堀部安兵衛に関する資料館があり、それも見学した。隣の敷地には足軽屋敷があり、外観を眺めてバス停まで歩いた。
バス停からはあやめバスで新発田城に向かった。冬季休園中の城内には入ることができないのでこれも一周して外観を眺め、昼食をとったあと白壁兵舎広報資料館に入った。中は新発田に駐屯していた陸軍第16連隊の戦歴や、陸上自衛隊の広報用の展示などがあって、建物も現存兵舎としては最古のものだったため見ごたえがあった。
その後、帰りのバスまで時間があったので歩いて蕗谷虹児記念館を訪れた。小さな博物館で、特筆すべきことはない。見学後はバスと電車で宿に向かった。16:30に宿に到着した。

2017年度冬旅行 1日目

0715に東京駅丸の内北口改札で集合、全員が揃ったのを確認してから上越新幹線のホームへ向かった。その後は予定通り乗車し、0959に新潟駅に到着すると各班に分かれての行動となった。

小川班/新潟
かなり杜撰な1日であった。
新潟駅に到着後、いきなり計画を変更し新潟市内観光へ。新潟県政記念館へ。かなり凝ったつくりの擬洋風建築であった。その後チンタラ歩いていたせいで電車に間に合わず、やむなく特急を使って関川村へ14時40分ごろ到着。渡邉邸へと向かう。
渡邉邸は周辺で第一の豪農の屋敷で、部屋数は40にのぼり、一時は70人ほどが暮らしていたという。内部も農家と武家の二つの趣がまじり、幾多の増改築を経て非常に複雑であった。内部は非常に寒かった。
その後30分ほどで早々に邸を後にし、新潟へと戻った。宿到着は16時30分ごろか。

須山班/新潟
まず、メディアシップというところの會津八一記念館、にいがた文化の記憶館へ行った。前者は歌人の會津八一とその弟子との交流についての展示で、後者は新潟の偉人についての展示。
次に、昼食を食べに行った。郷土料理屋でわっぱめしを食べた。
次に、旧小沢家住宅へ行った。自称地歴の教員免許持ちの人が案内してくれた。
バスの時間が合わなかったので歩いて歴史博物館みなとぴあへ。途中であられに。
次に齋藤家別邸へ。親切なおじさんが案内してくれたが、途中で次に行く予定の北方文化博物館別館の閉館時間が近いとのことで追い出された。
そこで、北方文化博物館別館に行ったもののつまらなかったのでホテルへ戻った。

曹班/長岡
9:59に予定通り新潟駅に着き、予定通りの電車に乗って11:28に長岡に着いた。そこから、予定通りに新潟県立近代美術館に行こうとしたら、距離が予想(推測)とは結構違い、3.8kmもあった。20分で着く予定が40分以上かかってしまったが、信濃川の風景も楽しめた。
美術館前の休憩室で少し休憩したあと、経路を確認して美術館に入った。美術館で昼食を取った後、各自で美術館内を見学した。今日は特別展の堀口大學展が開催されており、彼の作品や用具が沢山展示されていた。その後、常設展にも行ったが、時間があまりなく、少ししか見学できなかった。不思議な目の錯覚を利用した外国作品が印象的だった。
14:20くらいにバスを発見した為、それに乗って長岡駅前まで行った。その後、徒歩で河井継之助に行った。最初にビデオを見て、長岡藩と河井継之助の歩みを見てから、館内を見学した。ガトリング砲の実寸大模型が印象に残った。
その後、少し歩いて山本五十六記念館に行った。墜落時の飛行機の左翼や最近アメリカから返還された軍旗があった。見学後、時間があったので、帰り道の途中にあった長岡戦災記念館に行った。20分のビデオを途中まで見て、時間がなかった為、少しだけ見て帰った。焼夷弾の模型があった。
17:02の電車に乗って18:19に新潟に着いた。

11月月例 文京・千代田

高1:O川、K田、S本、M野下
中3:K本、N田、M浦
中2:I辺、O川
中1:A木

 今回探訪したのは文京区にある文豪所縁の地と千代田区の洋館だ。千駄木駅で集合後、森鴎外記念館から菊坂、明治大学博物館と歩き、千代田線で赤坂へと移動してからは旧李王家邸から東京駅方面へと道筋を辿った。

1.森鴎外記念館
 森鴎外記念館は鴎外旧居であった観潮楼の跡地に建設され、今年で開業5周年となる。設計は国立国会図書館関西館でも知られる陶器二三雄氏によるもので、打ち放しコンクリートで仕上げされた外観は力強い風格をまとっていた。建物内の内の主な施設は地下1階から順に展示室、エントランス、カフェテリア、図書室となっており、今回見学したのは展示室のみだ。
 展示室では鴎外の生涯を追う常設展と鴎外を取り巻く文壇に焦点を当てた特別展の二つが開催されていた。どちらも展示物の中心は書籍や手紙などで、当時の文化や社会を垣間見ることのできる貴重な品々だった。そんな中で部員の印象に強く残ったのは鴎外の次女杏奴(あんぬ)が父の容貌を揶揄した「はげ頭」という小唄で、鴎外の胸像を見ながら口ずさむほどであった。
 展示資料の中には観潮楼についても詳しい説明がなされていて、当時の姿を再現した3Dモデルや詳細な間取り図などは資料として一級のものであった。しかしこれについて部員の一人が「ここまで残っているならばなぜ復元しなかったんだ」とふまんをあらわにしており、他の部員も同調していた。

2.菊坂
 森鴎外記念館を退館後、東京大学前を通りつつ菊坂へと向かった。菊坂には樋口一葉や宮沢賢治の旧居跡があるが、現在でも古い家々が軒を連ねる情緒あふれる地区となっている。まずは樋口一葉が懇意にしたという旧伊勢屋質店を訪れたが、大学行事とかで休業だった。店舗部分は再建されたものだが土蔵は当時のまま残されているらしいことが建物前の看板に記載されていた。付近にあった手動ポンプを作動させてから樋口一葉旧居跡を探した。
 細い路地を抜けた先にあった急勾配な階段の辺りだという情報を頼りに探索したがそれらしい看板はなく、樋口一葉が使用したと言われる井戸が残されているのみであった。しかもかつて釣瓶式だったそれは現在では手動ポンプに差し替えられていて、もはや面影すらも感じられなかった。しかし路地の奥にある昭和の木造住宅は階段上に立つ門と相まって秘密基地的な雰囲気を醸し出しており、現代ではなかなか感じることのできないノルタルジックな心持を味わうことができた。

3.明治大学博物館
 菊坂から南下し、順天堂大学や東京医科歯科大学といった医学の名門校を眺めつつ御茶ノ水駅方面へ歩を進めた。明治大学博物館は明治大学駿河台キャンパス内のアカデミーコモンなる施設の中に位置し、考古、刑事、商品の3分野を中心とした展示を展開していた。日本の伝統工芸品を展示している商品部門や古代日本の道具を解説する考古部門も勿論よい展示ではあったが、今回のお目当ては刑事部門だ。
 刑事部門では江戸時代の警察制度が実際に使用された道具のレプリカを交えて解説されていた。袖搦や刺叉といった捕物道具を始めとしてギロチンや磔柱などの処刑具、時代劇でおなじみの拷問具、石抱きなどがあったなかで極めつけといえるのがニュルンベルクの鉄の処女だ。「アイアンメイデン」という名の方が有名であろうこの拷問具を展示しているのは日本でもここだけだといい、必見である。元はただ閉じ込めるためだけのものだったという説もあるが、このレプリカは我々の知る通り内部に無数の鉄串が取り付けられており、軽く微笑む表情が一層恐怖を掻き立てた。
 ここまで3kmほど歩いたせいか部員たちは疲労を見せていて、館内のソファに座り込む部員も多かった。

4.旧李王家邸
 旧李王家邸は韓国併合の際に皇族として遇された朝鮮王家、李王家の在住した洋館だ。大戦後は制度改革の影響で李王家がこの建物を手放さざるを得なかったが、同じような旧邸を買い集めていた西武グループによって引き取られ、1955年に赤坂プリンスホテルとして運営されるようになった。21世紀に入ると客室としてではなくレストランや式場として親しまれていたが、2011年に周辺地区の開発が始まったために赤坂プリンスホテルとともに惜しまれながら閉業した。しかし2016年、東京ガーデンテラス紀尾井町の全面オープンに合わせて「赤坂プリンス クラシックハウス」としてレストラン及び結婚式場というプリンスホテル時代の役目を再び背負うことになり、現在は多くの利用者や観光客を集めている。
 さて、そんな旧李王家邸は業務上の理由で普段は一般公開を行っていないのだが、2017年の10月末から11月頭にかけて企画された「東京都文化財ウィーク」によって期間限定の特別公開を果たした。我々もそんな企画に乗じてここを訪れたのだが、なんと運の悪いことに結婚式のために公開を中止していたのだ。今回のメインディッシュであった旧李王家邸を見学できないことに激しい徒労感を覚えつつ今後の予定を再考し、ある部員の提案により東京駅まで歩くことにした。無念なり。

9/15 例会報告

高1:I倉、O川、S本、SG山、S山、T神、H口、M野下、Y本
中3:全員
中2:全員
中1:A木、A尾、A本、U田川、K此田、M木、M本、Y慶名

本日の例会では、よもぎ会巡検の概要について軽く説明され、また地歴部の一般活動に関する提案も公表された。高1のT神が原案のこの計画は、「一学年を肯定側否定側の二グループにわけ、それぞれの立場で同じ事柄について発表させて他の学年に意見を求める」といういわば討論のアレンジバージョンだ。部員はあまり馴染みが無いようだったのでひとまず試験的に導入すると結論付けられた。
例会後は解散したが、高1は残って文化祭展示の具体的な内容について話し合った。事前にある程度の決定は行っていたため、話し合いは雑談を交えながらも比較的スムーズに進んだ。最終的には製作する模型と担当者の割り振りを行って本日は終了とした。
1700頃終了。

9/13 夏休み明け部室掃除

高1:S本、SG山、S山、M野下

一昨日に開催されたサークル連合定例総会で、9月の末に備品監査があるとの告知を受けた。部室の清掃状況などを検分する部室監査とは別のものであるが、サークル連合への心象を上げるために軽く掃除を行った。
まずは机上に散らばった麻布学園報道新聞(なぜここにあるのだろうか)や工芸用具を整理し、比較的奇麗な状態で保たれていた部室奥の板の間に荷物などを避難させた後、床の掃き掃除をした。床には予想通り砂塵や埃が溜まっていて、軽く掃いただけでも奇麗になったように感じた。その後も掃除を続け、部室内はそこそこ奇麗になっていた。最後にごみ箱を処理しようとしたのだが、ごみ袋が設置されていない上、いつのものかわからない弁当が入ったと思われるビニール袋が捨ててあるという酷い状態だったのだ。取り出すこともできないのでごみ箱ごと学校が設置したごみ箱にもっていき、中身を流し込んだ。掃除は1730頃に終了した。

9/8 例会報告

高2:U田さん、Hさん
高1:I倉、O川、S本、SG山、S山、T神、H口、M野下、Y本
中3:全員
中2:全員
中1:A木、A尾、A本、U田川、K此田、M木、M本、Y慶名

本日は新学期初の地歴部活動だった。幸先のいいことに、出席率は高いようだ。
例会では、例年通り開催されるよもぎ会巡検の出席確認、部報論文の催促が行われた。論文の記述に慣れていない低学年向けに会計のH口と前会計のU田さんがちょっとした講義を行っていた。
また、例会後は中1、中2の模型作製技術を確認した。ベニヤ板を25x25cmに切断されるという内容だったが、技術力が高い部員が予想以上に多く、来年に控えた文化祭の模型は期待できそうだった。

6/16 例会報告

高2:T田さん、Hさん
高1:S山以外
中3:全員
中2:全員
中1:全員

 今日の例会では、よもぎ会講演の告知等が行われた。また、高1内で意見がまとまり、文化祭展示が内定された。
 例会後、中1を動員して部室の掃除を行った。部室内の備品等を外に出してごみを掃き、せっかく雑巾があるので床の拭き掃除をした。くすんでいた床が綺麗になり、フローリングの木目や継ぎ目が見えた。大量にあったベニヤ板を2面で配置できることに気がつき、配置するとかなりスッキリとした見映えになった。押さえがないと倒れてしまうのは何かしらの対策が必要だろう。不必要なベニヤ板、プラダンは処分の為、纏めて第二部室に置かせてもらった。
掃除は1730に完了したが、その後は歓談した。
1800終了。

5/10 なんということでしょう

高2:Hさん
高1:I倉、O川、S本、S山、T神、H口、M野下
中3:S、M浦
中2:全員
中1:K此田

部室掃除3日目。最終的に、当初の状態とは見違えるほど綺麗になった(綺麗とは言っていない)。木材の釘抜きに皆手間取っていた。
今週中にはすべてが片付きそうな勢いであった。

5/9 進路希望調査

高2:U田さん、T田さん
高1:S山、T神、M野下

引き続き、部室の掃除を行った。スタイロフォームをごみ袋に詰め、取り敢えず第二部室に押しやった。
休憩中、高1が進路について談義していた。S山が、学部によって試験内容に相違がないことを嘆いていた。

5/8 残り汁はちゃんと捨てましょう

高2:U田さん、K島さん、T田さん
高1:I倉、O川、S本、S山、T神、H口、M野下
中1:A木、A尾

今日は、巨大戦車模型の後処理を行った。廃棄許可がでないため、製作者であるHさんが持ち帰る手筈だったが何故か当の本人が学校に来ておらず、今日のところは木材を纏めるだけにとどまった。
それでも当初のごみ山はある程度片付き、部室内に足を踏み入れることができるようになった。

2017年度文化祭1日目

高2:全員
高1:I倉、O川、S本、SG山、S山、T神、H口、M野下、Y本
中3:全員
中2:全員
中1:全員

文化祭1日目。6時に集合し、模型の設置や必要品の準備などを行った。
「ソ連」というテーマだったのでたいした集客は望めないのではないかと部員の多くが懸念していたが、無事例年通りの833人という来客数があった。部誌もギリギリではあったが完売し、幸先の良いスタートになった。
 紙展についても「読みやすい」などの好意的な声が寄せられ、なかなかの好評かだった。

4/29 消えた30部

高2:全員
高1:I倉、O川、S本、SG山、S山、T神、H口、M野下、Y本
中3:全員
中1:A尾、U田川

 今日は主に、部誌の製本を行った。OBのS藤さんやY本さんなども手伝だって下さったおかげで順調に進んでいたのだが、完成品を数えていた最中に30部ほどの部誌が消失していることに気が付き、その捜索に追われた。最終的にすべてそろったが、製本作業にかなり手間取ってしまった。
 また、昼過ぎにはOBの方々がモスバーガーや菓子類の差し入れをして下さり、現役部員との談義を楽しみつつ思い出話に花を咲かせていた。

謝辞

ここ最近のblog更新が停滞してしまい、誠に申し訳ありません。今後はしっかりと更新していくので、引き続き地歴部をよろしくお願いします。
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