冬旅行5日目

小川班
全ての班が出たことを確認した後に宿をチェックアウトし、岐阜へ向かいました。この時点で思ったよりも遅れていたので岐阜に着いたら急ぎ気味で来年の大河ドラマの主人公である明智光秀に関する資料館を見ました。その後長良川方面へ向かい、鵜飼資料館を見学した後三軒の温泉をはしごし、贅沢に飛騨牛を昼食としてとったあとに名古屋駅へ戻り新幹線に乗りました。
赤尾班
朝、マウンテンという喫茶店に向かおうとしていたのだが生憎お腹の具合が良くなかったためマウンテンは見送り、名古屋大学に向かった。名古屋大学はビックリするほど大きく、大学内に公園のような場所があったのでそこで朝ごはんを食べ、名古屋大学博物館に向かった。ノーベル賞受賞者の展示などを見た後、名古屋大学附属図書館を外観だけ見て、名古屋市市政資料館に向かった。その時点で予定より1時間30分早く進んでおり、暇な時間が発生する危険があったので、文化のみち二葉館に向かった。2階では色々な小説家の紹介もされていたが、そこに何故か朝井リョウの『何者』が置いてあった。館内を見学後、周囲の豪華絢爛な家々を見ながら金シャチ横丁にお昼ご飯を食べに向かった。親子丼は非常に美味であった。食べた後、暇になったのでたまたま近くにいた宇田川と合流し名古屋駅に戻った。
曽我班
8時30分にホテルを出て地下鉄でいりなか駅へ行き、マウンテンで朝食をとりました。その後名古屋に戻り東海道線に竹島へ行きました。竹島周辺を見て周り、温泉に向かいました。しかし、行こうとした温泉が臨時休館していたのでそこから30分歩いて別の所に行きました。温泉を出た後、20分ほど歩いて三河三谷駅へ行き、東海道線で名古屋に戻りました。16時05頃着です。
是此田班
9時に集合するはずだったが、班員が遅刻し9時40分に出発した。まず、歩いて名古屋市科学館へ行った。科学館ではTEAM LABの展示が行われていて、とても混雑していた。中では科学に関する展示が行われていた。面白かった。10:45に集合し、名古屋市美術館へ行こうとしたが休館だったので名古屋城へ向かった。11:30に名古屋城へ着くと、解散し1時まで自由行動にした。僕は本丸御殿に行った。綺麗だった。天守閣は工事中で入れなかった。1時になっても班員がこず、東門ではなく正門に行ってしまったようで、しばらく待っていた。その後熱田神宮へ行き、名古屋駅に戻ってきた。3時名古屋ちゃく。
正木班
今日は起きたあと、最初に同輩2名と喫茶マウンテンに朝食を食べに行きました。マウンテンには奇抜なメニューがたくさんあって、そのなかで今回は甘口バナナスパを食べた。とても甘いうえ、途中で味に飽きてしまってキツかった。そのあと二人と別れてあおなみ線に乗車してリニア・鉄道館に向かった。リニア・鉄道館のなかには主に東海道新幹線などのJR東海の車両がたくさん展示されており、そのほとんどの車両で車両のなかの観覧・撮影を行うことができる。車両の展示以外にも超電導リニアについての展示や新幹線の設備、仕組みの展示が詳しくされていた。その後、名古屋駅に戻ったあと時間があったのでミッドランドスクエアの展望台に上った。名古屋一の展望台だけあって見事な景色だったが、西に同じくらい高い建物(JRセントラルタワーズ)があったため西側の景色が見えなくて残念だった。
青木班
ホテルを9時50分に出て犬山に向かいました。犬山に10時30分についてコインロッカーに荷物を預け、ロッテリアで朝食を食べました。犬山城に向かい中を見たあと、大垣に向かいました。大垣城を見ました。展示がとてもしっかりしているわりに観光客が、数人しかいませんでした。
観光が終わり、大垣駅に着いた時点で2時だったのにも関わらず乗り継ぎの問題で集合時間(名古屋、4時)に間に合わないことがわかりました。名古屋到着は4時20分です。

冬旅行4日目

赤尾班
彦根が近いという情報を得たので10分ほどで班行程を考えたところ、中2と中1が全員来るという予想外の事態になり混乱した。
朝、2~3分だけ遅刻しロビーに降りてみると中一が一人いなかったが、小川さんの班に吸収してもらうことにして出発した。
1時間30分ほど電車に乗り、彦根駅から歩いて彦根城に向かった。彦根城は予想以上に大きくひこにゃんを見ることも出来たので大満足だった。その後班員に昼飯を食べるか聞いたところ、中1が何故かもう食べていたのでそのまま犬山城に向かった。犬山城は1~2週間前に工事が終わったばかりで、非常に綺麗だった。中を見学後、近くにあった神社に向かいその後駅の近くにあったカッコイイ名前の寺に向かおうとしたが見つからなかったのでホテルに戻った。
宇田川班
早朝にホテルの下で集合。班員が遅刻した為走って名古屋まで向かいなんとか6時23分名古屋発の電車に乗ることに成功した。電車に揺られ10時4分に高山に到着。高山陣屋、中橋、三町伝統的建造物群、寺院群、高山別院などの歴史的建造物を拝覧。途中高山市図書館にも立ち寄った。昼食として牛すじ丼を食べた後飛騨国分寺を見た。重要文化財というだけありなかなかの大きさであった。見たかった場所には大抵行ってしまったが帰りの電車までに少し時間があった為足湯で時間を潰し駅へ。ホテル着は7時半ごろ。
増田班
本来は小川班だったはずだが、班長が17時に起きたため一人班となった。
岐阜に行き、岐阜城にいくことにした。岐阜城は山の上にありロープウェイか歩いて登る。ロープウェイは甘えだと思っているので迷わずに登山道を登ることにしたが、想像以上にキツかった。山を登り城を軽く観光したあと喫茶店で休憩してから長良温泉へと歩いていった。日帰り入浴をして、岐阜に戻り名古屋に帰宅した。



冬旅行3日目

増田班
八時三十七分の快速みえという電車に乗り伊勢神宮へと向かった。快速みえはJR区間だけでなく途中で伊勢鉄道の区間を走るので青春18切符と別に料金がかかり不愉快だった。伊勢神宮は一般的に外宮、内宮と呼ばれている二箇所に分かれていて、前者は天照大御神の食事を司っている産業の神様、豊受大御神をまつっていて、後者は天照大御神をまつっている。伊勢市駅についてまず伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)を参拝した。平日であったのにもかかわらずまあまあこんでいた。そこには正宮のほかに別宮が四つほどあったがまつっている神が違う以外には差異がなかった。(多賀宮は少し大きかったかな?)
また正宮も中に入れるわけではなかったのであまりスケールがわからなかった。
次に外宮内にあるせんぐう館という場所に行った。そこではその名の通り遷宮について色々と紹介されていた。また原寸大の外宮正殿の模型もあり圧倒された。式年遷宮ではヒノキが約10000本ほど必要らしくそのための200年計画の森林保全についての展示もあり、職員の努力が伝わってきた。
次に内宮の参拝もしたが、普通の人である自分には外宮との違いがあまりわからなかったので割愛する。ただ外宮から歩いてきたのでそれが大変だった。
最後に神宮関連の博物館である、神宮美術館、神宮徴古館、神宮農業館に行った。農業館は農機具や動物の剥製があるだけだったが、徴古館は建築物が、ベルサイユ宮殿を模した前庭を持つの西洋風建築でとても格調があった。展示物はせんぐう館と似たようなものもあったが祭りで使うものやお供物がたくさん展示してあった。美術館は教養のない自分にはわからなかったので割愛。到着は六時半くらい
赤尾班
朝8時45分にホテルを出発し歩いて名古屋駅に向かい電車で岡崎に行きました。目的地の最寄り駅を岡崎駅だと思っていたのが中岡崎駅だったので25分ほど歩いて図書館交流プラザりぶらに向かいました。図書館交流プラザは自然光が多く入るように設計されており、明るい気分の中で本が読めるようになっていました。そこから歩いて岡崎城に向かいましたが、天守に入る時間が無かったので三河武士のやかた家康館に向かいました。そこは巨大な動く関ヶ原の戦い模型が置いてあり、カッコよかったです。館内を見学後バスに乗ろうとしたのですがバス停が見つからなかったので歩いて岡崎駅に戻り、名古屋駅を経由して岐阜駅に向かいました。そこからバスに乗ろうとしたのですがまたしてもバス停が見つからなかったので30分ほど歩いて岐阜メディアコスモスに向かいました。岐阜メディアコスモスは知の拠点の役割を担う目的で作られており、中高生が集団で勉強ができる部屋や休憩する部屋、一人で勉強する部屋なのが用意されており、非常に新しい図書館でした。そこから岐阜城に向かおうとしたのですが暗すぎて帰れなく危険を感じたので、歩いて岐阜に戻り、名古屋に戻ってきました。
是此田班
8時に集合し、8時25分の電車で浜松まで行き、電車を乗り継ぎながら金谷駅に11時頃に到着した。金谷駅で川根温泉往復&入浴チケットを買い大井川鉄道に乗り換えた。大井川鉄道の列車は昭和みたいな感じで良かった。大井川沿いに進みながら写真を撮り、川根温泉笹間渡駅に11時40頃に到着した。その後道の駅に向かい、12時30分に電気機関車が通ると聞いていたので先に昼食をとってから温泉に入った。ちょうど12時30分前に露天風呂に移動し、電気機関車を見た。結構な高さの橋をわたっていて、綺麗だった。写真が撮れなかったのが残念だった。その後道の駅でお土産を買う時間をとり、13時21分の金谷駅行きで金谷に戻った。14時頃に金谷に着くと、東海道を通って牧之原台地にあるふじのくに茶の都ミュージアムへ向かった。googleマップではわからなかったが、かなりの急勾配で登るのには一苦労した。14時20分頃にふじのくに茶の都ミュージアムに到着し、入館したところで受付の人がお茶を淹れてくれた。そこで、金谷駅ミュージアム間のバスの存在を知った。その後たくさんのお茶の種類やお茶の文化、ヨーロッパにおける茶用具などに関する展示を見て、ミュージアムショップで買い物をして、15時15分の金谷駅行きで金谷駅にもどり、15時35分の東海道線で浜松まで行き、そこから豊橋でもう一度乗り換えて名古屋へ向かった。宿到着は6時30分頃
正木班
今日は朝6時半に出発して下呂駅に向かいました。現地には9時40分に着きました。
最初に温泉博物館に行きました。温泉博物館には全国の温泉についての展示があったほか、足湯・歩行浴ができる場所がありました。冷水と熱湯が入った浴槽があり、二つを交互に入ることで血流を浴する効果があるとか。
その後は温泉街にあった共同浴場に一軒入ったあとに飛騨牛料理の昼食をとりました。とても美味しかったです。
まだまだ電車まで時間があったので下呂温泉 合掌村に行きました。合掌村には重要文化財の合掌造りがありました。班員の滑り台モチベとが高かったので、175mの滑り台を滑ったりもしました。
その後岐阜城を観光しようと岐阜城がある山を登ったら、岐阜城が残念ながら閉城してしまっていたため、入ることができなかった。それで帰ろうとしたところ暗くて山下りにかなりの苦労をすることとなった。
有本班
7:43発の電車に乗って田丸に向かいました。田丸城跡に行った後に再び田丸駅に戻り、そこからまた電車に乗って津城に向かいました。津城を見学し終えると津駅まで歩いてそこから電車に乗って亀山駅に向かい、亀山城に行きました。亀山城を見終わったあとは亀山駅から鈴鹿駅まで電車で向かい、そこから歩いて神戸城を見学しました。その後鈴鹿駅まで戻って電車に乗り、18:06に名古屋に着きました。ホテル到着は18:20頃です。

冬旅行2日目

屋慶名班
7人の班員と共に岐阜公園へと向かった。岐阜駅から3.5kmほど歩き岐阜公園に行った。はじめに岐阜市博物館に入った。岐阜は来年の大河ドラマの舞台になるらしくそれに合わせてここでは特別展をする予定であるようだった。その後、同じく公園内にある信長公居館跡に行った。中の展示室では公居がいかに巨大であったかといった話や、発掘調査の話などがされていた。まだ時間があったので名和昆虫博物館と加藤栄三・東一記念美術館を見て回り岐阜駅に戻った。養老鉄道で大垣市役所輪中館に行った、ここでは近代以前に輪中で暮らしていた人たちの生活について展示が行われており、洪水のときに仏壇を滑車で二階まで上げる装置などユニークなものがあって面白かった。駅に戻り海津市歴史民俗資料館に行った。この資料館は三階建てで、何故か三階には高須城が再現されていた。その他治水工事による地形の変遷についてもわかりやすい解説があり展示の量、質ともに一つの市の郷土資料館とは思えないほどのものであった。暗くなってきたので養老鉄道に乗り名古屋まで戻ってきた。
小川班
宿を9時半過ぎに出た後、伏見駅まで向かい、電気の科学館へ向かいました。子供向けの施設だろうと侮っていたところ思った以上にしっかりとした展示がされており、予想以上に時間を使いました。その後この日のメインである喫茶マウンテンに向かい、赤いワンピースに見事敗北をしました。名古屋駅へ歩いて戻り駅反対側の神社仏閣を回った後に宿へ帰りました。
赤尾班
8時50分にホテルを出て、9時10分初のバスであいち航空ミュージアムに向かおうとしたが、バスを間違えたがだめに30分歩くこととなった。
あいち航空ミュージアムでトヨタ産業技術記念館との共通券を買い、中に入った。全体的に内容が濃く非常に面白かった。その後バス停を探したが見つからなかったがために45分ほど歩いて味美駅に向かい、そこから名古屋駅に向かいました。名古屋駅で昼ごはんを食べたあと名古屋市中区に向かったあと、トヨタ産業技術記念館に向かいました。トヨタ産業技術記念館を見たあとに少し時間があったので名古屋市科学館で行われていたチームラボの展示に向かいました。
ホテル到着17時30分
是此田班
8時20分にホテルを出た我々は8時45分の明治村行きバスに乗車し、明治村の開村時間である10時頃に村に到着した。バスの時間が3時、4時、4時30だったので3時までいなければいけないことが発覚した。600円の入村料を支払い、まず三重県庁舎を見た。三重県庁舎は古めかしい建物であったが、モダンで素敵な建物だった。時計に関する展示や、明治時代の暮らしを体験するコーナーがあった。御料車なども見ながら進んだ。その後、京都市電やバス、公衆電話もあった。赤い鉄橋を渡り、明治村4丁目の方へ行った。宇治山田郵便局は改装中だった。その奥には天主堂があり、綺麗なステンドグラスがあった。帝国ホテル正面玄関に座り、休憩した後、昼食をとった。銀行の建物を利用した展望台に行った。そこからSLに乗ることも考えたが、30分待機だったのでやめた。そこから帰りのバス場で2時間少しあったのでゆっくり歩きながら行っていなかった明治村3丁目へ行った。小物店や東大へ行き、バス停の前でバスを待った。名古屋駅へ行くと、時間が余っていたので、熱田神宮へ行った。見て帰った。宿到着は5:30頃
青木班
7時に起きて伊賀上野に2時間30分かけて行きました。伊賀上野城は上野市駅が最寄り駅なのですが乗り換えがだるかったので少し離れた伊賀上野駅から2km歩きました。城について本丸を観光しようと思ったのですが、城の入り口にゆるキャラとくノ一のコスプレをした人が数人いて近づきたくなかったので先に敷地内の史跡を回りました。その後本丸に入ってから伊賀上野城をでました。
次に温泉に向かいました。上野市駅から3駅離れたところから往復で4kmかけて温泉まで歩きました。電車の乗り継ぎの関係で行く予定だった亀山城は断念しました。





冬旅行1日目



小川班
東京駅を8時半にでて名古屋駅まで鈍行を乗り継いで向かいました。名古屋に着いた時間は15時前で、ホテルにチェックインをし、ホテルから毛布を借りられるように交渉したあと駅前の3.8キロ程度ある散策路へ繰り出して神社を数カ所巡った後に宿へ帰りました。
曽我班
熱海駅下車した後徒歩で熱海梅園に移動。紅葉とかすかに梅を見ることができました。その後バスで日航亭大湯という温泉に行きました。アホみたいに熱かったですね。休憩を終えて熱海駅に向かおうとバス停を探しましたが見つからず、熱海駅まで歩き、マクドナルドで昼食をとりました。おいしかったです。13時30分くらいの電車に乗って興津、豊橋経由で名古屋に向かいました。その後夕食を食べ、ホテルに来ました。到着は19時頃です。
青木班
今日僕の班は東京駅を出て熱海に行きました。コインロッカーに荷物を預け、歩いて山の上にあるmoa美術館(もきち、おかだ、あそしえーしょん、の略らしい)に行きました。これは世界救世教が管理してる美術館だそうです。
で、歩き疲れたのでバスにのって温泉に行きました。日航亭大湯ってとこです。
熱海で昼食を買って、東海道線に乗ったところ、沿線火災で富士~静岡の間で運転見合わせしていると聞きました。ちょうどそのとき三島駅にいたので、新幹線に乗って運転見合わせしてるところを越えようと思いました。そして無事切符を買って新幹線ホームに移動したときに、運転再開したと聞いて萎えました。
なんやかんや浜松につき、コインロッカーに荷物を預けてからバスで浜松城に行きました。
その後バスで浜松駅まで戻り、電車にのって帰りました。
ホテル到着は6時半くらいです
正木班
今日は清水駅で下車後、バスで三保松原まで行きました。
松に囲まれた神の道という道を通って羽衣の松がある場所に行きました。その後砂浜に出て富士山を眺めようとしましたが、富士山が雲におおわれていてはっきりと見れず、残念な気持ちになりました。
時間が余ったのでその後はフェルケール博物館という海洋博物館に行って船の絵と模型を見た。
それでも時間があったので、昼食をとってちびまる子ちゃんランドを訪問。グッズや展示がたくさんあり、楽しむことができた。その後帰りの電車に乗り、18時半頃にホテルに到着しました。
屋慶名班
身延線に乗って一人で富士宮へ。はじめに、笠雲を見ながら富士山世界遺産センターに行った。ここは逆さ富士をモチーフとした下のほうがすぼまっている円錐台の建築で、内部のスロープを上がることで擬似的に富士登山が体験できるというものになっていた。世界遺産登録に合わせてできたらしく、球体の液晶に地球儀を映し出すといった先進的な展示を行っていた。
その後、富士山本宮浅間大社へ向かった。境内に南極の石がおいてあった。富士宮焼きそばを食べ静岡駅に向かった。静岡駅で降りたあと葵タワーという家康Loveなビルの中にある静岡市美術館に行った。静岡市美術館ではバルセロナに関する展示をやっていた。まだ時間があったので駿府城公園の中にある天守台の発掘調査現場を見に行った。ここを軽く見たあと東海道線に乗り名古屋に向かった。
有本班
今日は沼津で下車後、駅周辺を散歩しました。その後バスに乗り長浜城跡に向かいました。本丸からは沼津の海が一望できました。そこから15分くらい歩き、安田屋旅館に行き、温泉に入りました。ここは太宰治ゆかりの旅館でかつてここで執筆した事があるそうです。歴史のある旅館で観光客で賑わっていました。バスの時間が迫っていたのでバス停に向かい、バスで沼津駅まで戻りました。帰りの電車に乗り、ホテル到着は20:40頃です。
増田班
東京駅から快速アクティーに乗って熱海まで行き、乗り換えて沼津で降りた。南口をでて、沼津御用邸記念公園というところに行くためにバスに乗ろうとしたが、おそらく淡島マリンパーク方面に行くであろう人でとても混んでいたので歩いていくことにした。沼津御用邸記念公園は徒歩で50分強かかったためいい運動になった。
沼津御用邸記念公園は海辺にある。もともと大正天皇の静養先として作られた本邸の跡と、学問所として作られた東付属邸と、幼少期の昭和天皇の住まいであった西附属邸で構成された公園だ。
西付属邸はほぼ当時の様子のままであり、外観は質素ながらも名状し難い上品さが醸し出されていた。室内は見学可能で、食堂、炊事場、寝室、女官室、玉突所(遊戯室?)など合計26室があり、そこでは使われていた調度品や家具が置いていて、皇族の暮らしぶりを少しばかり感じることができた。炊事場の天窓から入ってくる日光がとても印象に残っている。
次に沼津大空襲で焼失した本館の後に建てられた資料館に行った。そこでは内浦湾で昔行われていたというマグロ漁についての展示があった。とても小さい湾であるのにマグロが昔水揚げされていたのは意外だった。少し中途半端な時間だったので渚百選に選ばれている牛臥・島郷・志下海岸をみた。晴れていれば見えるという富士山を拝めなかったことは残念だったが、海岸は綺麗だった。
お昼時になったので沼津港に移動したが、土曜日だったこともあってたとても混んでいて食べるまでにかなり待たないといけなかったのでびゅうおという巨大な水門の展望室にだけ行って、沼津駅に近い仲見世商店街にいき、そこでかなり遅めの昼食を取った。そして名古屋まで東海道線でノロノロと移動した。

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夏旅行5日目

小川班
5日目は四時四十分に岡山へ集合して新幹線にのるということだったので初日に回れなかった倉敷の美観地区に再び舞い戻った。倉敷では大原美術館へ行き受胎告知や近代芸術、陶器などを見たが自分はどうも近代芸術を見る目がないようでどの絵もなにを表したいのかわからなかった。しかし受胎告知の滲み出る神々しさを味わうことができたためとても満足いった。ついでに二つほど博物館と工芸館をまわる予定だったが班員にひとりグロッキー状態のものがいたため、早めに切り上げ岡山土産を買う時間をとり新幹線へ乗り込み品川駅で解散することで5日目の行動を終えた。

川崎班
昨日の愚かな失態が頭の片隅にあり、また今日は東京へ新幹線を使って戻らなければならない日でもあるので、集合に遅れることはあってはならないと考えた私は、岡山駅から近い倉敷に行くことにした。はじめに見に行ったのは、地元の実業家の経済的な援助を受けた、日本人の洋画家がヨーロッパを旅して蒐集した、絵画や美術品のコレクションを展示する大原美術館で、蒐集を行った児島虎次郎の審美眼は確かなものだったといわれている。美術館の蒐集品のなかではエル・グレコの受胎告知が最も価値が高い作品だとされているけれど、気に入ったのはイタリアの画家、ジョヴァンニ・セガンティーニが制作したアルプスの真昼という作品で、山羊の群のそばで、斜めに生える白樺に腰をかける、淡い青紫色のディアンドルのような民族衣装に身を包んだ女性が、遠くにはアルプス山脈が、透明な空気感をもって描かれていて、鮮やかな黄、青、白が私を捉えた。ここで女性の衣装をディアンドルのようだと描写したが、そもそもディアンドルはアルプスの民族衣装から派生した装束であるので、あまくだりしたような表現だといえるかもしれない。美術館の展示を一通り見終わって、昼食をとり、観光用に完璧に整備された、いささか清潔すぎる美観地区を彷徨っていると、紡績工場を見つけたので、富岡製糸場に興味を抱きつつも、訪れられずにいた私は思わず見学してみることにした。そのあとアンリ・マティスの木炭画がどうしても気になってしまっていたので、再び美術館を訪れることにした。収蔵品を纏めた図録にあった、ムンクのマドンナがしまいこまれていて見られなかったのは心残りであったが、一応満足し、美術館の創立者のアイデアで開かれることになったカフェ・エル・グレコでコーヒーとチーズ・ケーキを食べて、岡山駅に戻った。

岸本班
津山。
津山へ向かい、津山の鉄道学び館へ。津山の鉄道とともに変遷した姿を体感し、また鉄道制度の変遷も見た。その後うどんを食して、津山城、聚楽園を見て岡山へ行き、新幹線乗車。今に至る。


松浦班
電車で高松へ。シンボルタワー一階でお土産を買ってから、玉藻公園に向かい、高松城の現存櫓(とても立派)や天守台(天守復元を目指して頑張っているらしい)、披雲閣(近代和風建築)を眺めた。ここに限らず、高松港周辺では海風が常に吹いており、真夏でも日陰ならかなり涼しい。一通り回ったら隣の香川県立ミュージアムに行き、香川県の歴史を学んで、うどんを食べてからことでんの高松築港駅に向かった。「ことでん温泉入浴乗車券」なる、団扇としても使えるきっぷ兼入浴券兼タオル引換券を購入し、電車に揺られてから、炎天下を歩いて仏生山温泉に入った。ぬるぬるした泉質と現代的な建築が非日常を演出する中、時間の都合で烏のごときスピーディーな行水をし、電車で岡山へ戻った。

夏旅行4日目

小川班
4日目は広島の基町を徒歩で探索した。朝遅くに宿を出てまず記念公園へ行き資料館をみた。資料館は少し前に新しくなったというので言ってみたが前回までと比べあまり良くなったという印象は受けなかった。資料館を出て原爆ドーム前をかすめて広島城へ行き観光したあと縮景園で一休みをした。縮景園の美術館では水木しげるの展示をしていたが見ることはなかった。縮景園の後は旧日銀広島支店を班員の希望を受けて見学し宿へ向かった。宿に着き4日目の行動を終えた

増田班
4日目は生口島という島全体が美術館のようになっているところにフェリーで向かった。
まず平山郁夫の美術館に向かった。
そこでは平山郁夫が旅をしていた、彼の生涯についての解説と、主にシルクロードの面している辺りの絵が展示されていた。
その次に耕三寺という寺に行った。そこでは日光東照宮、法隆寺、清水寺、四天王寺、平等院鳳凰堂、慈照寺(銀閣)をオマージュした建築物があった。また耕三寺には天国と地獄が表現されている人工の洞窟があり、そこはとても不気味な雰囲気でまた、すずしかった。
そのあと時間が余ったので少し移動して尾道に向かい尾道ラーメンをたべ、寺をまわった。

松浦班
電車で福山へ向かったが、なんやかんやあって到着時には既に一時だった。そこでふくやま草戸千軒ミュージアムの常設展(草戸千軒の実物大模型が見どころ)とふくやま美術館の特別展(ウィリアム・モリスの壁紙は美しい)を見て、昼食をとった結果、予定していた倉紡記念館行きは時間的に不可能になった。仕方ないので倉敷へ行き、美観地区を少し散歩して時間を潰してからホテルへ向かった。

川崎班
すこし早めに、早いといっても数年前の地歴部では散見された宿の朝食が用意される前に出発してしまうような時間帯ではなく、7時30分ごろに広島を出発し、江戸から明治にかけての街並みが保存されている竹原に到着した私達が目にしたのは、閑散としたシャッター商店街だった。昨日訪れた鞆の浦同様、この辺りでも人口減少が著しいことは容易に想像がついた。駅前でそれぞれ別々に行動することにし、商店街を抜け、町並み保存地区に到着したものの、所々に鉄筋コンクリートの近代的なアパートや、煙草の自動販売機が設置されており、遠方からやってきた私たちを失望させた。しかしながら何も見ずに帰ってしまうというのでは、あまりに興醒めしてしまうので、江戸時代に塩田を経営して財を成した人物の邸宅の中に入ってみることにしたが、やはり必要以上に大きな注意書きや、修繕が必要な箇所が多く、竹原への失望をより深めさせただけだった。竹原はこうした有様だったので、予定よりはやく尾道に移動することにした。尾道でも自由行動にしたので、私は一人で1964年に山頂の目立つ位置に築城され、現在は朽ち果てている尾道城の脇を通り過ぎて、千光寺公園で向島と尾道を往来する船を見ながら、追憶に耽って1時間くらい過ごし、展望台を通ってから、弘法大師が開基したといわれる千光寺を見学した。千光寺から市街地に降りていく、山の中腹に位置する三重塔は尾道の観光ポスターにもよく使われているもので、私もその写真の構図に倣って眼下から遠望にかけての風景を見下ろしてみると、まるで空気遠近法のお手本のように遠くの島々がゆるやかな霞に包まれ、こじんまりとうかんでいた。山を降りて、尾道の商店街を少し歩いた後、向島にフェリーで渡り、島内を軽く探検し、また尾道に戻ってきたときに目にした船着場の腰掛けで船を見送り続け、屯ろする島民の高校生達の後ろ姿は、青春を食い物にする学園ものの映画を連想させた。尾道駅に戻った私達は何の疑いもなく電車に乗って、広島へ向かってしまったので、ホテル到着は9時になってしまった。

岸本班
吉備津神社。備中高松城。造山古墳
朝岡山駅に荷物を預けた後吉備津駅へ。備中高松城の史跡、資料館にて、水攻めの真相や状況などを把握。その後ラーメンを食べ、造山古墳へ。日本で4番目に大きいというこの古墳を徒歩で訪れた後、また徒歩で吉備津神社、吉備津彦神社へ。その後ホテルへ。

夏旅行3日目

小川班
3日目は厳島神社へ向かった。平和記念公園にある舟乗り場から舟にのり、宮島へ移動した。宮島では班員のこれこだ君が鹿にお気にいるの服を齧られて穴があくという事故が起きたがなんとか厳島神社の参拝を終え、宝物館と近くにあった平清盛についての資料館を見て回った。その後弥山という山に歩いて登りたい派とロープウェイで登りたい派と登りたくない派で分かれて行動を開始した。私はロープウェイで登ることにしたのだが頂上からみた景色は曇りであったためそこまでの美しさはなかった。徒歩登山組を待つ間に穴子丼を食べ、外国人の兄貴と話をし、フクロウと戯れていた。徒歩登山組が帰ってき次第宿へ向かい3日目の行動を終えた。

川崎班
ホテルから原爆ドームまで歩く途中に降ってきた驟雨は、黒い雨を連想させ、はやくも私を1945年に連れ戻そうとしていた。原爆ドームについて今更何も書くことはないものの、やはり8月6日の惨状を想像すると、暗澹たる心持ちになるのは事実である。ドーム近くの桟橋から観光客相手の、厳島行きの遊覧船に乗って、平清盛が建築させたという厳島神社を参拝しに向かった。厳島で厳島神社と、秀吉が建築を命じ、読経所として使われていた、豊国神社を見学した。宮島は白人のツーリストでごった返していたので長いはせずに遊覧船に乗って、再び原爆ドームから少し歩いたところにある船着場に戻り、広島平和記念資料館と公園、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を訪れた。資料館の展示の前半は、出来る限り客観的な事実のみを記そうとする意図が伝わってきたが、後半では個々の被害者に焦点を当てた内容が多く、被害者意識の過剰な増大が、プロパカンダとしてのアンネ・フランクを連想させた。人々の奇妙な沈黙のためか、あるいは火傷を負った人々のむごたらしい写真のためか、いや74年前の凄惨な出来事をあまりにも鮮明に想像してしまったためだろう、私はその時半ば打ちひしがれてしまっていた。資料館の次に見学した、国立の戦没者を追悼する記念館は、ローマの建築に影響を受けていることが明らかだった。入り口から中央のホールに続く、暗く天井の高い回廊はハドリアヌス帝の墓廟を、その壁にあしらわれた、段になって二重にくり抜かれた装飾と、穹窿の天井に開けられた、日光を導く円形の開口部はパンテノンと容易に結びついた。記念公園を暫くうろついてホテルに徒歩で6時くらいに戻った。

松浦班
広電→高速船→バスと乗り継いで江田島の海自第一術科学校へ。海自の歴史についての展示を眺めたあと、10:30からの見学ツアーに参加し、海軍兵学校時代の建築と陸奥の主砲などを見学した。その後は校内で海軍カレーを食べ、観光案内所の二階にある海軍の展示室を見学し、高速船(海自の艦艇も見え、これ自体が観光のようなものであった)で呉へ向かった。呉では入船山記念館の閉ざされた門を覗いただけで、電車で広島へ戻り、広電で袋町停留所へ。そこでは被爆建物・旧日銀広島支店の内外をじっくり眺め(竣工当時の内装が残っている)、ホテルへ戻った。

岸本班
しまなみ海道、尾道。
尾道に向かい、レンタサイクルを用いて向島、そして因島までサイクリング。因島では日本構成遺産の青木城などの史跡をみる。
その後尾道にて尾道ラーメンを食べ、展望台へ上った後、尾道映画記念館へ行き、小津安二郎監督作品などの展示を見た。疲れていたのでここで帰宅。

増田班
フェリーに乗って大久野島へ。
大久野島は1900年代日本軍が、秘密裏に毒ガスを製造していた場所で、いまはウサギの島として有名である。
大久野島の中には戦中に使っていたのであろう砲台跡や武器庫跡、毒ガスを貯めておくためのタンクなどがあった。また毒ガスについての資料館があり、作られていた毒ガスの解説とそれについての展示物、風船爆弾の解説などがあった。多少雨は降っていて見学しにくくはあった。到着は6時ごろ

夏旅行2日目

岸本班
厳島神社、原爆ドームをめぐる。
岡山から移動で12:00頃に宮島口着。お昼時だったのでカキフライ定食を頂き、厳島神社に参拝した。この時既に土砂降りであり厳島神社につく頃には全身がすっかり濡れてしまっていた。参拝後、宝物館に立ち寄り厳島神社に奉納された様々な宝物をみる。平安時代から明治まで、様々な貴重な宝物が展示されていた。その後フェリーで平和記念公園まで向かい、原爆ドームを見る。そして平和記念館を見て広島原爆の悲惨さを痛感。その後広島城へ行き天守閣内の展示を見た。その後ホテルへ。

小川班
2日目は朝早くに宿をでて呉にある大和ミュージアムと海上自衛隊呉資料館を訪ねた。大和ミュージアムでは特別企画展として沈んだ武蔵について展示をしており、海の底に武蔵の残骸がどのように散らばっていたのかを精巧に作った模型などが置いてあった。
呉資料館では機雷の種類、機雷の危険性、機雷除去の方法についてや、潜水艦についての展示がされていた。その後広島の宿へ向かい、2日目の行動を終えた

川崎班
福山駅からバスに乗って、かつて港町として栄え、三条実美が七卿落ちの時に隠れ蓑に使ったと言われる鞆の浦に到着した。街並みを散策していると、江戸時代中期から作られ、将軍にも献上されていたという薬用酒、保命酒を売る店のお婆さんに呼び止められた。下関から入ってきた朝鮮通信使が鞆の浦を経由したという話や、現在の上皇が高校生ぐらいでここを訪問された時の写真、それから保命酒に使われるたくさんのスパイスを見せてもらった。多くの家が軒下に茶色の紐を張り、紙垂を飾り付けていたので、質問してみると、この辺りは祭りが多く、つい昨日も祭りがあったばかりだという。酒屋を出て、瀬戸内海を展望するため、山の上の方にあるお寺に行き、それまで間歇的だった霧雨が降り止まなくなったので、軒下で雨宿りをすることにした。しとしとと終わりなく降り続ける細かい雨に霞む眺望から、遠い漁船のエンジン音が聞こえた。山を下って保命酒の酒蔵と販売所を兼ねていた太田家住宅を見学したが、この住宅の透徹した張り詰める美意識は中々素晴らしいものだった。その後も乾物屋で乾燥させたシラスを買わされたりしながら、街中で過ごし、バスに乗って福山駅までもどり、ホテルに戻ってきた。到着は6時ごろ。

松浦班
2日目
電車で福山へ。雨の中福山城に向かったが、残念ながら天守は休館日だった。仕方ないので櫓を眺めて三原へ。駅直結の三原城天主台を見て、堀の外周を回ったら昼食をとり、駅前のみはら歴史館へ向かった。規模は大きくないが暇つぶしにはなった。
それでも時間があったので広島へ向かい、ホテルに荷物を置いて平和記念資料館を見学。時間ぎりぎりまで見てホテルへ帰った。

夏旅行 1日目

川崎班
新大阪駅からさくら夙川駅に移動した私はバスを一度乗り換えて、須賀敦子が眠る甲山墓園に向かった。広大な敷地を有する霊園の一部のカトリックの一画に、須賀家の墓標はあり、その左側の花立には頼りなさげに枝垂れる小ぶりな向日葵が生けてあったったので、右側の花立てに、墓園の入り口で半ば無理矢理買わされた花束をいけることにした。マルグリット・デュラスのエッセイ、特にラ・マンとエクリールを須賀敦子の翻訳で読むことが出来なかった不幸を託ちながら、墓地を後にし、タクシーを呼んで、高級住宅街として知られる六麓荘町を抜け、フランク・ロイド・ライドが設計したヨドコウ迎賓館に向かってもらう途中、芦屋の海辺に作られたモノリスのような形をしたマンション群を目にした。ヨドコウ迎賓館は、現在は明治村に移築されている帝国ホテルを設計するために来日していたライトが、日本にいる間に設計した建築で、彼の描いたヤード・ポンド法の設計図に、畳をぴったりと敷き詰めるのに、日本人の弟子が苦心していたという。建物を出て芦屋駅から岡山駅まで2時間ほどかけて移動し、午後6時40分ぐらいに到着した私は、学生が旅行で、しかも地歴部が泊まるにしては、豪華なホテルに驚いてしまった。

曹班
 新大阪から御堂筋線、阪和線に乗って堺市の大仙古墳に行きました。大仙古墳の入口の近くに行って、ボランティアガイドの方の解説を聞いてから、堺市博物館に行きました。堺市の古代から近世までの通史の常設展と、大仙古墳世界文化遺産登録を記念した特別展を見ました。
 そこから、阪和線で天王寺駅まで行き、自由時間にして、僕は通天閣に行きました。しかし、残念ながら並び時間が長く、下から見るだけで終わりました。
 その後、天王寺から大阪環状線で大阪駅に行って、そこから山陽本線で岡山まで行きました。

松浦班
芦屋川駅から歩いてヨドコウ迎賓館へ。F.L.ライト設計の重要文化財に指定された邸宅。世界遺産に登録される公算が大きいこともあり、自分のほかにも訪問者がいくらか居た。見どころは二階の広間と四階のバルコニーだと感じた。
その後、思っていたより時間がかかったので岡山へ直行した。

増田班
12時54分京都線新快速にのって芦屋で降りた。芦屋神社に行った。
途中の坂がかなりきつかったが、後ろを振り返ると芦屋の街が綺麗に臨むことができた。芦屋神社まあまあ狭い神社なのだが、社が6個くらいあった。そして横穴の石室の古墳をみて、少し休んでから芦屋駅にもどり、播州赤穂に向かった。そこでは赤穂城跡を見て、赤穂大石神社に行った。神社には47体の赤穂浪士の石像があったが、あまり一体一体の違いがなかったので少し残念。そのあと赤穂の歴史博物館に行った。そこでは赤穂藩の歴史が解説されていた。
そのあとは電車に乗り岡山へ向かい、到着は7時ごろだった。

小川班
新大阪から岡山へ行き、ホテルグランヴィア岡山にチェックインをして班員の荷物を置かせてもらった後に倉敷へ向かった。倉敷に着いたのが六時だったため多くの博物館を見ることができなかったが、外観もまた素晴らしいものだったため満足だ。また、十数年観光所に勤めていたおじいさんにお話を聞きここ数年での変化を聞くこともできたため、とても貴重な体験ができた。

岸本班
新大阪で少し豪華めの昼食を頂いた後岡山に向かう。後楽園をみたところで18:00になっており、他の史跡も閉まっていたので諦めてホテルに帰る。

春旅行 4日目

川﨑班
鳥取駅前からタクシーで鳥取砂丘へ。運転手の方言がきつく、なんと言っているか分からないことがいくつかあったが、適当な会話をして車中を過ごした。砂丘で1時間くらい自由行動にして、私は崖のようになっている砂山の向こう側に降りてみた。バスがまだ動き出していないためかツーリストはまばらで、風紋も見ることができた。帰りのバスの時間が来たので、増えてきた観光客を見やりながら鳥取駅に戻った。直通の特急で京都駅に向かった。そこからJRで嵯峨嵐山駅に向かった。徒歩でまず渡月橋に、そして竹林の小径へと歩を進めた。この橋梁は弘法大師の弟子が836年に建設した橋が元になっていて、1606年の改修によって、100mほど離れた現在の場所に移動したらしい。ちなみに欄干以外は鉄筋コンクリート製である。竹林に関する説明は特になく、様々な言語による竹へのいたずら書き(マジックや削りなど)が目立った。観光客が多すぎたので、嵯峨嵐山駅に近い京都ジオラマJAPANに避難した。ジオラマは京都の名所をいくつか再現し、HOゲージを走らせたものだった。京都御所もあったので文化祭で作る模型の参考になった。ここで今日の行動は終わり、到着は6時ごろ。

曹班
朝8:10の高速バスに乗って、大阪梅田に11:20ほどに着きました。コインロッカー探しに色々と苦労したものの、12:00ほどに大阪環状線に乗って、大阪城公園に行きました。近くのカフェで軽い食事を済ませた後、本丸を見学しました。非常に人が多かったのですが、展示は興味深いものばかりで、知識になりました。近くの梅や桜を鑑賞して、森ノ宮駅に行きました。そこから中央線に乗って、弁天町に行き、落し物を取りに行きました。弁天町から環状線で天王寺に行って、あべのハルカスや通天閣に行きました。そこから環状線で大阪に戻って、京都まで行きました。

松浦班
鳥取駅から特急と普通列車で大阪へ。着いたらまず昼食をとって、その後環状線で森ノ宮へ移動した。そこから歩いて大阪城へ。とにかくスケールの大きい城で、石垣は高く、堀は広かった。特別公開期間中だったので焔硝蔵と大手口多聞とその続櫓、さらに千貫櫓の内部を見学したが、これも広いものばかりで、ボランティアガイドの有益な解説と合わせて楽しめた。しかし、本丸と天守は観光客で溢れかえっていて落ち着いて見られるような状況ではなく、残念だった。帰りは谷町四丁目から地下鉄とJRを乗り継いで京都へ移動した。到着は18:10ころ

小川班
特急を使い鳥取をでて姫路に向かい、バスに乗り打越から歩き太陽公園に到着した。
太陽公園とは石工の技術によって世界各地の石像や建造物の模造品を作り、それを展示している場所だ。太陽公園には大量の古代メキシコの神々の石像、古代中国の兵士像又それらが市民体育館大のスペースに並べられた兵馬俑を模したもの、天安門、ノイシュバンシュタイン城を真似して作られた巨大な城など様々な物があり、どれも凄まじい出来栄えだった。
太陽公園を出た後姫路に戻り姫路城をさらっと見た後に宿へ戻った。

春旅行 3日目

川﨑班
特急や私鉄を乗り継いで、出雲大社前駅へ。そこから徒歩で国引き神話で知られる稲佐の浜にいった。砂浜の象徴的な存在である大きな岩に、どこの観光地でもよくあるように小銭がはめ込まれていた。若さを持て余している班員は、何故か彼らの硬貨を投げ上げて、その岩の高いところに乗せようとしていた。そこから出雲大社への道中に、出雲阿国の墓が突如現れたので見学した。出雲大社では自由行動にし、私は一人で境内を歩き回った。山陰特有の、あのよどんだ白い空と、うすい霧も手伝って、あまりの神々しさに魅了された。国の文化財に指定されている建物で蕎麦を食べて、鳥取県立古代出雲歴史博物館にいった。確か千と千尋の神隠しに出ていたと思う、たたら製鉄のふいごの体験が面白かった。この仕事はばんこというのだが、重労働なので、交代しながら行うらしく、それがかわりばんこの語源になっているらしい。他にも大量の銅鐸や銅剣が展示してあった。せっかく興味深い展示であるのにも関わらず、一部の班員は早々と退散して、スマホに興じていたので、もったいないなあと思いながら傍観していた。博物館を見終えて、駅に戻り、再び特急で宿に戻った。到着は7時50分ごろ。
曹班
朝砂丘そばを食べてから、電車で淀江駅まで行きました。そこから、2.6kmほど歩いて、山の上にある妻木晩田史跡公園に行きました。受付に入って、弥生時代の村についての展示を見てから、少し休憩をとって、電動自転車を借りて、妻木晩田史跡公園内を散策しました。人は合計で3人しか見ませんでした。然し、風景は素晴らしく、弥生人の自然豊かな生活を少し実感することができました。小規模な墳丘の集合や、高床倉庫らしきものを見ました。90分ほどのサイクリングを経た後、タクシーで数10km離れたイオンモールに行きました。ロースカツ定食をたべた後、イオンモールを少し回って、バスで米子駅に行きました。米子の市役所付近で降りて、美術館を素早く見て回った後、駅まで行って、鳥取ライナーに乗ってかえりました。
松浦班
バスで県庁前まで行き、箕浦家武家門を見てから鳥取城へ。復元された木橋を渡り、城内に建っている仁風閣を見学。片山東熊設計の明るい洋館だった。
その後は坂を登って二の丸と天球丸を散策。櫓台の高い石垣と市街地を見下ろすロケーションは素晴らしい。天球丸の球面石垣は日本唯一とのこと。本丸には行かずに山を降り、バスに乗って鳥取砂丘へ向かった。
昼食をとったあと砂丘を散策し、馬の背に登ってから戻りバスで鳥取駅へ。
そこから鉄道で若桜へ向かい、駅構内の蒸気機関車と若桜民工芸館(材木商の邸宅を再利用した土鈴の展示館)を見学。宿場町の雰囲気が良く残っていて良い街並みだった。一通り歩いて駅へ戻り、鉄道で鳥取駅へ。到着は17:30ころ

春旅行 2日目

川﨑班
朝遅くに乗車、列車を乗り継いで岸本駅まで行き、そこから徒歩40分ほどで植田正治写真美術館に到着した。植田正治は1913年に生まれ、2000年に没しているが、死後またその魅力が再発見されているようだ。美術館の展示に特にそういった記述はなかったのだが、画面構成はスペインの画家サルバドール・ダリを彷彿とさせるシュルレアリスム的なものだった。当時の土門拳を代表とする写真家が目指していたリアリズムとは一線を画す写真表現を、彼が目指していたということは非常に興味深い事実といえよう。また美術館にはカメラ・オブスキュラがあり、大山の風景を大きな壁面で楽しむことができた。”暗い部屋”の織りなすプリミティブな結像は、とても美しいものであった。昼食を古民家を改造した蕎麦屋でとって帰路に着いた。到着は6時20分ごろ。

曹班
9:05のバスに乗って、鳥取から浦富海岸まで行きました。浦富海岸周囲を散策した後、昼食をとって、バスで浦富海岸島めぐり遊覧船乗り場まで行きました。そこから遊覧船に1時間ほど乗って、海岸沿いを回りました。浦富海岸島めぐりが終わったら、バスで鳥取砂丘まで行きました。砂の博物館(閉館中)を通り過ぎて、砂丘に入り、断崖らしきところで遊びました。

松浦班
普通列車に揺られて松江駅へ。昼食を済ませてからバスで移動し、ごうぎんカラコロ美術館とカラコロ工房を訪問。どちらも銀行の建物を再利用したもので吹き抜けが印象的。工房では金庫室も見学できた。
その後は歩いて竹島資料室へ。領土問題に関する大量の資料があり、とても興味深かった。日本国民なら訪れるべき場所。
次に徒歩で松江城へ。敷地内にある興雲閣は階段室が印象的な洋館。天守は国宝に指定されており武骨な印象を受けた。
一通り城内を見たのちバスで駅に戻り、特急で鳥取駅まで帰った。到着は18:10ころ。

小川班
朝7時25分の電車に乗り米子を経由して安来駅まで3時間かけて向かい、無料のシャトルバスで足立美術館まで運んでいただいた。帰りのシャトルバスまでの5時間を周辺で過ごした。日本一の日本庭園や紫峰の絵を見学した後、郷土料理であるどじょう鍋を食べ、地元の温泉であるさぎのゆを楽しんだ。2キロほど離れた場所に山中鹿之介の生誕地では城跡や着物を見た。島根はいままで訪ねたことが無かったので大変有意義な1日になった。

春旅行 1日目

川﨑班
京都から城崎温泉駅に特急で向かい、駅前で電動自転車を借りて、玄武洞公園に行った。火山活動により、幾何学的な模様に冷えて固まった玄武岩が見られることで、国立公園になっている場所である。江戸時代に当時の儒官が、この洞窟状の岩の名前を玄武洞と命名し、明治に入ってからこの岩石の名前を決めるときに、東京大学の博士が、玄武洞から借名したらしい。つまり玄武洞は玄武岩の名付け親というわけである。公園を後にし、再び自転車で城崎市内に戻り、それを返してから、徒歩で城崎文芸館に行った。そこでは所謂白樺派の文豪たちについて展示してあった。英語の教科書、クラウンに載っていた劇作家の平田オリザに関するものも多くあり印象的だった。文芸館の敷地内の足湯で、コウノトリの生態と、姫路城の落城のさせ方について非常に正確な知識を持った、地元の小学四年生と話し感心した。コウノトリについては学校でみんな勉強するらしい。文芸館で手に入れた志賀直哉の短編集を参考に、彼が訪れたという三木屋、一の湯の近辺を歩いた。城崎温泉駅に戻って、鳥取駅までJRで向かった。到着は19時20分ごろ。

曹班
10:45に京都について、山陽本線で新大阪を経由して、神戸に行きました。南京町を通って、食事をした後に、メリケンパークに行きました。海洋博物館で船の模型、神戸港の歴史についての展示を見てから、隣のポートタワーの展望台に行きました。

松浦班
京都駅から新快速で大阪駅へ。御堂筋線に乗り換え、心斎橋駅で下車。ユニクロ心斎橋店、大丸心斎橋店本館、松竹座、旧新歌舞伎座、南海難波駅、旧精華小学校の外観保存の実例を見学。その後なんば駅から再び御堂筋線に乗り淀屋橋駅で下車。日銀大阪支店、住友ビルディングの外観を眺めて大阪駅へ戻り、上郡まで普通列車、そこから特急で鳥取へ。遅延に巻き込まれ、19:25に到着。

冬旅行 4日

川﨑班
9時ごろに宿を出て、新幹線で新白河から郡山、在来線で郡山から猪苗代に向かった。猪苗代駅から猪苗代湖湖畔を目指し、20分ほど歩いて湖畔に到着した。よくポスターなどで目にする白鳥が、本当にいるか気になっていたが、3羽確認することが出来たので、本当に渡ってくるのだろう。湖の外周に沿って、撮影しながら歩いた。強風で体感温度が-5度くらいだったので、喫茶店を見つけられたのは幸いだった。コーヒーを飲んで、猪苗代駅へと戻ったが、雪が風と共に吹き付けてきて、非常に寒かった。猪苗代駅から会津若松駅に移動し、さざえ堂と御薬園を巡ることにした。さざえ堂は1796年に建てられた仏堂で、その螺旋構造は技巧的で希有なものだった。御薬園は江戸時代に時の藩主が、貧しい領民を病気から救うために、薬草を栽培し始めたことがきっかけで生まれたそうだ。この2つを見学し、新白河に戻った。

松浦班
磐梯熱海の温泉へ。天気雪の中をかんぽの宿郡山へ歩き、入浴。雪の中入る露天風呂は格別だった。上がったら大広間で休憩し、昼食をとって駅へ向かい、電車に乗る。猪苗代駅で降り、てきとうに散歩してから磐梯熱海に戻る。きらくというホテルでまた入浴し、また駅に戻って電車で帰った。

曹班
9:11の新幹線で、郡山に向かいました。そこから、磐越西線に乗り換えて、猪苗代に向かいました。そこから、バスに乗って、4kmほど離れた野口英世記念館に向かいました。中には、野口英世の略歴、業績は勿論、更に生家も保存されていました。野口英世記念館の見学を終えて、昼食を食べたあと、会津民俗記念館に行きました。そこには、会津の明治期の民家が展示されていました。そのあと、猪苗代湖の湖畔を少々歩いたあと、吹雪が始まったことを受けて、タクシーで駅に帰りました。郡山に行って14:47に解散し、そのあとは仙台のイルミネーションを見に行きました。

冬旅行3日目

川﨑班
朝6時ごろに新白河を発ち、青春18切符を使って仙台まで3時間以上かけて向かった。るーぷるという観光地巡回バスを使いまずは瑞鳳殿に行った。瑞鳳殿は先の大戦で消失し、1985年に再建されたそうだが、綺麗すぎるのか今ひとつ趣にかけた印象だった。次に仙台市博物館に向かった。私は歴史に興味がないので、つまらなそうだなあと思いながら入館料を払ったが、とても興味深い展示だった。というのも慶長遣欧使節に関する展示が面白かったのだ。伊達政宗が、スペインと通商を行うために、その国王に対して使わした書簡や、使節の責任者、支倉常長が渡航先で手に入れた絵画などが陳列されており、とにかく前述の金銀が散りばめられた和紙の書簡は素晴らしく美しいものだった。使節の詳しい内容はここでは割愛する。続いて仙台城に向かったが、本丸は復元されておらず、石垣の積み方が美しかったこと以外、特筆することはない。その後、仙台メディアテークという図書館兼美術館のような施設を訪れた。地元の高校生達が制作した絵画や陶芸、CG、短編映画などが展示されており、なかなか感心した。仙台へ戻り、新幹線で新白河に戻った。
松浦班
飯坂温泉へ。旧堀切邸を見学し、足湯に浸かったあと鯖湖湯という共同浴場に行く。しかし湯温が高くとても入れるものではなかった。そのあとは波来湯へ。こちらは水を足していて丁度良い。湯船を出たら愛宕山を登って景色を眺めた。
曹班
9:11の新幹線で郡山まで行き、9:55の磐越東線で神俣まで行きました。そこからタクシーで10分ほどして、あぶくま洞に向かった。あぶくま洞内は、寒くはなかったが、湿度が90%越えだそうです。1時間ほど中を回って、洞内コンサートも見ました。イルミネーションが素晴らしかったです。上の食堂で食事をとって、神俣駅に戻りました。14:03の電車で郡山に戻り、科学館の展望台に行きました。
小川班
9時に宿を出た。猪苗代駅で降りて、バスに乗ろうとしたが、1日に三本しかなかったので、雪の積もる中を30分くらい歩いて、野口英世記念館に向かおうとした。その時、会津民族館にも行くつもりで、目的地がどれも近い位置にあったので、4時間の自由時間を設けた。野口英世のロボットがあり、勝手にクシャミをしたり、その際に手の仕草が連動したりして怖かった。4時間も自由時間をとったので、時間が余ってしまった。班員と意見が分かれ、僕は広い野原で一人で雪遊び、班員は猪苗代湖へ行った。帰りに駅に向かう道が、冬季につき通行不可だったが、無視して通った。7時に宿に到着。

冬旅行 2日目

川﨑班
8時ごろ宿を出て、列車を乗り継ぎ湯野上温泉駅へ。そこから50年前に製造されたというエンジン音が賑やかなバスで大内宿に向かった。藁葺き屋根の上には雪が積もっており、地面にも溶けかかった雪が薄く積もっていた。雪が積もりすぎていたら歩きにくいし、多少は積雪していた方が風情が出るので、ちょうど良い塩梅であった。店のお婆さんに勧められてイナゴの佃煮をみんなで試食してみたが、ふつうにおいしいと思えた。多分、見た目がイナゴではなかったら買っていただろう(540円でたくさん入っている)
そのあと餅とねぎそばを食し、あたりを散策した。大内宿は江戸時代まで宿場町として栄え、明治に鉄道が開通したことによりその役割を終えたが、現在に至るまで景観は保全されているということだった。新白河から大内宿まで3時間以上かかるので、1日かけて大内宿と宿を往復するのがやっとだった。
松浦班
郡山へ。ビッグアイ→金透記念館(外観のみ)→郡山合同庁舎(外観のみ)→郡山市歴史資料館→郡山市公会堂(外観のみ)→郡山市開成館→安積歴史博物館と見て回る。歴史的建造物が多い街で充実した観光だった。そのあと白河で降り小峰城に行くも閉園した後だった。
曹班
8:22の電車で郡山に向かい、そこから高速バスで会津若松に行きました。11前に到着し、そこから鶴ヶ城に向かいました。鶴ヶ城は、博物館形式になっており、戊辰戦争150周年記念にちなんだ展示が豊富でした。中でも、シルクロードを通じた文明の伝播を感じられた絵画は印象深かった。その後、昼食をとって、福島県立博物館に行きました。福島の歴史を旧石器時代から昭和時代まで説明されていた。14:09のバスで、野口英世青春館方面に向かい、その付近を回ったあと、高速バスで郡山に戻った。
小川班
朝の10時に宿を出発し、新白河駅から会津若松駅まで電車を乗り継いでいった。タクシーで東鳳旅館まで向かい昼食と入浴をした。その後タクシーの運転手に聞いた会津若松の観光名所を回った。
2代目から9代目の松平家の墓や近藤勇の墓はともに年季の入ったもので、偉人たちの歴史を感じさせた。
鶴ヶ城はさまざまな角度から天守閣を眺めることができ、福島県立博物館には福島県で発掘された化石などの遺物が数多く展示されていた。
出発が遅かったこともあり、時間も迫っていたので宿に帰った。到着時間は7時頃。

冬旅行 1日目

川﨑班 
上野から乗車し、宇都宮にて下車。そこからバスで30分ほどの大谷資料館へ。地下深くに非常に広大な空間が広がっており、気温は5度程度しかなかった。この温度の低さを利用して、政府の備蓄米などが保存されているらしい。
資料館を出た後、再びバスで宇都宮に戻り、JRで黒磯駅まで乗車。黒磯からバスで鹿の湯へと向かった。41度から48度までの浴槽が用意されていた。鹿の湯から黒磯に戻り、新白河へ到着した。
曹班
宇都宮から徒歩で松が峰教会に行くことを決めたが、到着するのに40分もかかってしまった。そこからバスで大谷資料館に行こうとしたが、無計画が功を奏し、50分も待つことが出来た。大谷資料館に到着し、見学の後、帰路に着いた。
松浦班
新白河へ向かう途中、鉄道博物館に寄った。博物館では自由行動をし、3時間ほど見学をしたが、新館の展示には震撼した。この日はそれ以外には足を運ばずに宿に向かった。

2018-7-25 夏旅行  3日目

宿を9時頃出発し、地下鉄で三ノ宮へコインロッカーに荷物を預けて地下鉄海岸線で神戸海洋博物館へ
1階には模型とカワサキワールドが、2階には神戸港の歴史の展示があった
精巧な帆船の模型に真珠を飾り付けたものが豪華に展示されていて、責任者の正気を疑った
三ノ宮に戻ってからポートライナーでUCCコーヒー博物館へ
個人的には様々な抽出方々があるのが興味深かった
950円のコーヒーを飲んでみたが、造詣が深いわけではないので違いがイマイチわからなかった
時間の都合で六甲オルゴールミュージアムは諦めることに決め、三ノ宮に戻った
そしてこの班の一番の目的であるかつめしを優雅に食べ、倉敷へ
途中トラブルがあったせいで倉紡記念館と日本郷土玩具館が閉まってしまうことが事前にわかっていたため、備前焼を売っている陶備堂に寄って香炉を買い、新倉敷のホテルに向かった
到着は19時前
3日目 一人班。一ノ谷に行った後、備前焼ミュージアムと備前刀剣博物館などをまわる。刀の製作現場、方法など様々なことを学ぶことが出来た。到着 18:00
3日目 明石城・津山城
 8時30分集合であったが、班長自ら寝坊してしまい、慌てて神戸駅に向かった。そこからまずは明石城に向かった。
 明石城は、西国の外様大名の抑えとして築かれた城であり、10万石弱の大名にしてはかなり大規模な城郭であると感じた。そこから明石市立文化博物館に向かった。館内では大別して明石原人と近世の城下町としての明石について解説していた。明石原人は初耳だったので興味深かった。また、特撮についての展示があり、特に古い映画のポスターに惹かれた。
 その後明石駅に戻り岡山まで乗り継いだが、ここで津山線が一部区間で運行を停止していることに気づき、振替輸送を利用しつつ津山駅まで向かった。これにより観光時間が1時間ほど減ってしまったので、城西浪漫館は諦め津山城のみを観光することにした。
 津山駅から15分ほど歩き津山城に向かった。ここは、森蘭丸の弟森忠政による築城であり、壮大な石垣群に圧倒された。縄張りとしては、防御力の高い枡形門を多用しており、極めて堅固な城塞であることが見て取れた。一方で、城内の施設で唯一復元された備中櫓は、内部が御殿風のつくりとなっており、畳敷きで茶室まで備えた優美なつくりが新鮮であった。全国的にも極めて珍しい例らしい。
 ここで電車の時間が迫っていたので足早に城を去り駅に戻った。駅到着は19時40分ごろか。

2018-7-24 夏旅行 2日目

神戸の異人館街を巡った。午後はUCCコーヒーミュージアムに行ってコーヒーの歴史などを学んだ。到着 16:00 
2日目 泉南・堺
 宿を7時45分に出発し、神戸駅から列車を乗り継いでまず岸和田城に向かった。
 岸和田城は岸和田藩の政庁が置かれた場所であり、往時は5重の天守閣があったが、現在は3重の復興天守になっており、別段面白みはなかった。ただ、城内の八陣の庭は独創的な形をしており興味深いものであった。
 城を出て自泉会館に向かった。ここは地元の寺田財閥が市民のために寄付したものであり、綿業会館の一室とよく似ていると感じた。しらべるとどうやら同じ建築家の仕事らしいことがわかった。
 その後岸和田を出て田尻歴史館へと向かったが、長期閉館の最中であったため、失意の内に計画を変更し、ゆっくりと大仙古墳へ向かうことにした。途中駅舎のステンドグラスが見事な蛸地蔵駅を鑑賞した。
 古墳に向かう前に、近隣で古墳カレーを食べた。ほとんど民家のような様子であり、店員の方もフレンドリーであった。帰り際代金を払い忘れていたことに気づき、あわてて引き返した。
 その後堺市博物館で古墳や戦国時代の自由都市堺について学んでから、ガイドを受けつつ大仙古墳を見学した。堀において赤い藻が大量発生して血のようであったのが印象的だった。
 見るべきものを見たのでその後はゆっくりと神戸に戻った。到着は18時前か。
神戸 ムスリム モスク
1935年に建てられた日本最初のモスク。
神戸大空襲や阪神淡路大震災を免れて現存する。
兵庫県公館
1902年に県庁舎として建てられたが、第二次世界大戦で外壁を残して全焼、今は割と近代的で残念。今は迎賓館と県政資料館として、歴史や文化の展示が行われている。
シルクロード絨毯ミュージアム
六甲アイランドにある。西はトルコ、イランから中国、日本までシルクロード各地の手織り絨毯を集めたミュージアム。班員が数千万円はしそうな絨毯で寝てしまい、出て行ってもらわなあかんと言われる。
谷崎潤一郎記念館
谷崎潤一郎が執筆を行なったのは、別の屋敷だったが、かれの生い立ちや、彼が実際に書いたものが展示されていた。
有馬温泉に行った。

 2018-7-23 夏旅行 1日目

今回は2つの班からしか行動が送られてこなかったので、掲載はひとまず2つになります。今朝新大阪に到着し、今日は神戸に宿泊しています。

小川班
新大阪に到着後、三ノ宮駅へ向かう。ここで来訪予定の箱木千年屋が休館であると知り、肩を落としつつ北野異人館街に向かった。風見鶏の館、萌黄の館は一度訪れたことがあるが、やはり暖炉まわりのマントルピースやタイルを見るのは楽しい。その後向かった山手八番館は みすず学苑の広告のような内容で、様々な地域・時代の美術品が脈絡なく置いてあった。その後中華街で昼食を取った後、神戸税関に向かった。ここは現在工事中であったが、税関の仕事を学ぶことができる展示室を見学することができた。班員の体力が限界であったため、ここで行程を終え帰った。到着は17時前か。


川崎班
新大阪から淀屋橋駅へ
大阪府立中之島図書館 1904年に住友財閥の住友家により大阪府に寄贈され建築された。
大阪市中央公会堂
1911年に大阪の株式仲買人の岩本栄之助が100万円の寄付をして、それを元に建てた。辰野金吾や片岡安(かたおかやすし)が携わっている。給食大会でホールは入れず。
新大阪から三ノ宮
デリカテッセン、村上春樹のダンス・ダンス・ダンスに登場するので行ってみたかった。ロイヤルコペンハーゲンの食器が使われていた。
イタリア館
もともとは永住しない外国人向けの借家だったが、日本人が買い取って、住んでいる。
その人が集めたイタリアの彫刻家の家具や、各国のホテルの食器。マリーアントワネットのテーブル。
プールサイドから見るとイタリア風なのでこの前がついた。
ベンの家
ハンターのベンさんの家。北極熊やいろんな虎、鷲など。屋敷を残し冒険に出かけたきり行方不明に。
洋館長屋
イタリア館と同様に外国人向けのアパートとして、治外法権が及んでいた旧居留地に建てられ、今の場所に移転。構造が長屋のようなのでこの名前。
英国館
医師の家族の住まいと診療所。英国館100周年でホームズの部屋をここに再現したいとして、小説内の部屋などを再現した。

お詫びとお知らせ

80代渉外です。

またまた私のさぼり癖が出てしまいました、大変申し訳ありません。
言い訳ではありますが、わが部活は恒常活動でも旅行でも、班ごとに活動の分かれることが多いので、そのすべてを把握しきるのは大変難しいのです。
班長の方に内容を送るように指示するというのも、旅行ならまだしも普段の活動となると、どこかで停止してしまうものですよね。まぁもうすぐ代替わりなので、全体的にまじめな次代は大丈夫でしょう!

部誌から来られた方もいそうなので、謝罪文(?)はここまでとして、今回まとめてアップした内容をお知らせします。
 1.冬旅行
 2.1月月例
 3.春旅行
 4.4月月例
 5.一般活動(ダイジェスト版)
以上、5つの報告を一気にアップしています。かなり面倒だと思いますが、閲覧していただければ嬉しいです。
 

第71回文化祭までの活動(ダイジェスト)

・須山班
城壁とジオラマの部品作りを並行して行う日々。


・松野下班
10月上旬
資料集め開始。テーマは19世紀のプロイセンの蒸気機関車であったが、インターネットや図書館では見つからず、途方に暮れる毎日だった。修業論文と時期が重なっていたことも要因の一つだろう。

10月中旬
インターネットでの英語検索を取得したところ、英国初の“Alamy”という電子ギャラリーのサービスを発見した。このサービスには博物館で展示されているような品々の詳細なスケッチなども収録されており、目的の資料もその一つにあった。
しかし、実際に普仏戦争で使用された車両ではないようだったので、資料探しは継続して行うことにした。

10月下旬
どうやら普仏戦争当時の車両というのはなかなか文献に残されていないようで、このころには自分の手が届く範囲では見つからないことを薄々と感じ始めていた。祖霊たちが里帰りする31日には諦めもつき、中旬に入手した資料をベースに進行すると決心した。

11月上・中旬
資料をもとに必要な部品を分析し、寸法を測りつつ種類ごとに図面を作成。前回のソ連展でも行ったものだが、今回はより正確な寸法を算出することに注力した。
そうと決まればすぐに、円柱の“ボイラー外殻”や“車輪”から部品を製作していった。しかし車輪には大変苦労させられ、「アスタリスク状に張り合わせた1mm角棒をバルサシートから切り出した2枚の輪っかでサンドする」とかいう工程を6回も繰り返さなければならなかった。期末試験1週間前にはおよそ半分ほどの部品が完成している状態であった。

冬休み
部品製作の続き。設計ミスによって部品が組み合わさらない、という事態が何度か起こったが、それでも冬休み明けには部品のすべてが完成していた。

1月中旬
すべてを組み合わせる前に、部品にジェッソを塗布していった。塗布前に軽くやすり掛けをしたおかげで、なかなかよい肌触りになった。

2月中旬
1月下旬2月上旬は某S連合の職務に追われていたため、作業はできなかったので、ようやくの塗装であった。はじめは単純に黒一色のつもりであったが、友人のY氏より助言を受け、Mr.Colorの「黒鉄色」を併用することにした。試しに混色してみると、黒が勝ってしまっただけでなく黒鉄色が固形化してしまったのでやむなく断念。重ね塗りで対応することにした。

春休み
春休みは車輪部分の塗装を行ったが、赤が思うように発色せず、3,4回ほどの重ね塗りをすることになった。
また、模型が少し寂しいように感じたので、石炭と水を運ぶ炭水車を新たに製作することにした。今回はちゃんとした資料がなかったのでいくつかの画像を参考に自分で構造を考えた。そのため綿密な寸法を測る必要がなく、工期は約1週間。突貫工事だったが、比較的上部にできたので個人的には満足である。

4月中旬
文化祭1月前を切ってラストスパート。全体的なブラッシュアップを行う予定だったが、客車を作りたくなったのでその製作と同時並行だった。
客車は構造こそ単純だったが、その分模様を描くのが非常に根気のいる作業であり、色付けしたりジェッソで上塗りしたりの繰り返しだった。それでもなんとか1週間程度で絵付けは終了し、組み合わせることができた。

4月下旬
忘れていた客車の車輪を作りつつ、細かいディテールを追加していった。最後まで後回しにしていた連結棒が想像以上にややこしく、結局は文化祭直前まで取り付けはできなかった。


・島本班
三月4週目および四月1週目
春旅行明けの作業。設計図が間違っていたことが、判明し書き直す。また、無くして書き直す。これらをそれぞれ2回ほど行う。そしてそれらをコピーして、その通りに木を切る。それらに場所合わせの支柱を貼り付け、その後粘土で船体の形を表すのを試みた。

四月2週目
春休みが明け、さらに作業に勤しもうとした日々の中で、ある衝撃的な事実が判明する。なんと、設計図が間違っていたのだ。それにより、春休み中の作業を全て無に返された私は、茫然自失とし、それを指摘した張本人である、Mr.小川に設計図の作業を丸投げした。
しかし、幸いにも春休み中に購入した資材の大きさはほとんど問題なかったため、それらを用い主にオールの大量生産、船体を構成する重要なパーツである、設計図通りの板を作る、などの作業を行った。また、今後また何かのすれ違いが起こらないようにするため、情報の管理を徹底した。マスト作った。それを壊した。

4月3週目
板を全て完成させ、粘土貼ってジェッソ塗った。間違っていた高さへの認識を改めた。甲板にニス塗った。きった。やすった。マスト作った。ぬのきった


・松浦班
4月第1週
アルミパイプを切る
第2週
バルサで部品を作る
第3週
バルサで部品を作る
第4週
別のアルミパイプを切る、木と紙粘土で本体を作る


・曹班
2月21日
買い出し
2月23日
発泡スチロールで土台づくり
3月28日
粘土の層を塗る
4月10日
粘土の高低作り
4月13日
粘土の修正
4月17日
旗づくり,粘土の修正
4月24日
ジェッソ塗り、買い出し
4月25日
スプレー、ジオラマ作り
4月27日
ジオラマ作り
4月28日
ジオラマ修正
4月29日
地名、行軍図を書き込む

2017年度春旅行 4日目

石倉班/京都
朝、寝坊したので朝食を食べた後すぐに走って清水寺に行き、見学した。その後、大石本廟に行き、見学しようと思ったが、手水舎で口を水ですすいだときに、気分が悪くなったので、しばらくそこの待合室で休んでいた。
次に、近くの河井寛次郎記念館を見学した。見学後、昼食をとりながら島津創業記念資料館に向かい、見学した。その後、京都市歴史資料館を見学し、京都御苑を見た後、たまたま近くに来ていたバスに乗って銀閣寺へ。
銀閣寺では、特別拝観期間中だったので、本堂の見学をした。その後、バスに乗って京都駅に帰還した。ホテル到着は5時半ごろ。

小川班/神戸
急遽途中まで川崎班と行動をともにすることにして、8時30分ごろ出発し、9時30分ごろ三宮駅に到着し、最初に北野異人館街に向かった。
最初に風見鶏の館に向かった。異人館の代表格的な邸宅であり、ドイツ風の装飾と、その中で存在感を放つ東洋風の家具が印象的であった。
次に萌黄の館に行った。ライムグリーンの外壁塗装が目に眩しいこの館の内装は、外観に反して重厚であり、特に暖炉のタイルが見事であった。
ついで向かったうろこの家は、入館料が高いうえ、現在の持ち主によって隣にうろこ美術館という建物が建っており、あまり良い印象を持てなかった。文化財保存の難しさを感じる。
その後向かった山手8番館が曲者である。アフリカ、西洋、古代タイ、ガンダーラの像や絵画やタペストリーが所狭しと並んでおり、カオスな面白さがあった。こういう変な場所に行ってみるのも楽しい。
ここらで川崎班と別れて、神戸回教寺院(モスク)に向かった。モスクの中に入るのは初めてであったが、係りの人に丁寧に説明していただき、知識を深めることができた。
異人館街周辺で見るものは見たので、海岸に向かい、商船三井ビルディングなど、近代的なオフィスビルが数多く残る地域を散策してから、中華街で昼食をとった。
一息ついた後、旧兵庫県庁に向かったが、開館していなかったので、班員との協議の結果、早めに市街を離れ垂水区の舞子駅に向かった。ここはすぐそばを明石海峡大橋がかかっており、迫力に圧倒されつつ孫文記念館に向かった。
孫文記念館は華僑の豪商呉錦堂の邸宅であり、孫文が亡命時などによく訪れていたらしい。特に塔屋部の、中華文明と西洋文明が渾然と一体化した内装に心を奪われた。この部屋は全国的にも珍しい金唐革紙という壁紙を使っており、その意味でも貴重な場所であった。
次いで近辺にあった、鐘紡中興の祖といわれる武藤山治の邸宅を見学した。ベランダが印象的なコロニアル様式の外装と重厚な内装が特徴的であった。ここでガイドの方と意気投合して、名刺までいただいたことが本日のハイライトである。
最後に木下家住宅に向かった。直線的なモダニズムのインテリアで統一されたすっきりとした応接室と、隅々まで細やかに気配りがなされた日本家屋が特徴の素晴らしい邸宅だった。
ここですっかり満足して京都へと帰っていった。駅到着は18時ごろか。

松野下班/奈良
予定通りに京都駅を出発し、奈良県は柳本駅。
一人班のため、計画では諦めた伊射奈岐神社を参拝した。この神社は延喜式に記される同名の2座の片方ある。境内には、神武天皇と明治天皇の遥拝所があった。
伝崇神天皇陵である行燈山古墳、33面の三角縁神獣鏡が出土した黒塚古墳に寄り道しつつ、渟名城入姫神社へと向かった。祭神の渟名城入姫命は、古来より天照大御神と共に宮中で祭祀されていた倭大國魂神を別所で祀るよう、崇神天皇より勅令を受けた人物同皇女である。初代斎主を務めたものの、崇神の系譜が倭の土着神である倭大國魂神ではないことから、疲弊して祭祀不能となってしまい、神託によって市磯長尾市(いちしのながおち)が後任となった。神社によると、渟名城入姫命を慕う心から創建したそう。
北西へ歩き、雅宮神社である。大和雅宮神社と間違えて参拝したが、興味深いところであった。境内には戦没者の慰霊碑や遥拝所があった。慰霊碑の半数以上を冬木姓が占めており、付近の日本家屋の多くが冬木家であることから、冬木氏は昔豪農か何かだったのではないかと推測される。
次に、大和神社だ。これは渟名城入姫命が遷御した倭大國魂神を祀る神社で、大日本帝国海軍の戦艦「大和」の守護神であることでも知られる。由緒には渟名城入姫命が遷御した旨のほか、遣唐使の航海祈願が行われたことも記されていたが、どの木札にも「付近に天理教教祖中山みきの生誕地がある」ことが書かれていて、さすが天理であった。境内は普通の神社であり、特筆すべきはなかったように思う。
次に向かったのは夜都岐神社である。境内はたいこ山という前方後円墳であり、武甕槌命を主祭神とする神社だ。参拝すると、奥から声がしたので行ってみるとおじさまがおり、少し話をした。彼によると、付近に住む10人のみが神社の整備をしているそうで、なかなかに大変ということだった。また、近隣の風景が段々と変わっていくことに関して、日本の最初期から続くこの地だからこそ、伝統を引き継いでいくべきだという考えを持っており、変化受容しつつも伝統を守っていくことの大切さについて、改めて考えさせられた。
そこから山の辺の道沿いに歩き、途中で都祁山口神社によりつつ石上神宮へ向かった。この神社は物部氏の氏神、布都御魂神が祀られており、記紀にも記述の見える日本最古の神社である。また、古来から鶏が神使とされているため、境内にはたくさんのコケコーがいらっしゃり、非常に煩かった。ちなみにこの神社、昔は斎宮がいて、布都姫がその任についていたという記述が見られるのだが、この女性は某作品の登場キャラの元ネタとされる。そんな石上神宮の境内は広い方ではなかったため、比較的早く参拝を終えられた。この時点で11時であり、調べると、春日大社まで15㎞=徒歩3時間であった。すなわち、ここから徒歩で春日大社へむかっても、予定より早くに到着できることに気づいたため、歩くことにした。
途中、山邉御縣座神社(やまなべのみあがたにますじんじゃ)、祝田神社、石上市神社、和爾下神社、和爾坐赤阪比古神社、森神社、嶋田神社、穴栗神社、御前原石立命神社(みさきはらいわだてのみことじんじゃ)といった式内社を巡りつつ、春日大社へ向かった。
春日大社には一度行っているので、軽く挨拶をするのみだった。日曜のためか観光客が多く、皇大神宮とは違って作法もお粗末なため、ヴァチカンに来た敬虔なキリスト教徒はこんな気分なのだろうか、などと考えつつの参拝だった。
帰りがけに式内社の率川神社を参拝し、京都へ帰還した。到着時間は、ホテルに着くまでは1800と思っていたが、後輩に1700だと指摘されたので1700である。

2017年度春旅行 3日目

小川班/大阪
班員の寝坊により出発が遅れ、予約していた綿業会館に集合時間ほぼぴったりに到着した。
綿業会館は、紡績業の事業主の社交場として作られ、用途に応じて様々な歴史的様式を使い分けており、非常にきらびやかであった。特に貴賓室が圧巻であり、クイーン・アン様式を用いた直線的なデザインの部屋に、曲線を多用した家具が調和しており、宝石箱の如く輝いていた。見学終了後ここでそのまま昼食をとり、ゆっくりと次の行程に向かった。
船場、中之島の近代建築は、現在でも使用されているケースが多く、内部の見学ができないため、ガイドブックにある近代建築を片っ端から訪れていった。
途中大阪府立中之島図書館にて、大阪の居留地に関する講演会が開催されることを知り、これに参加した。内容は寝てしまい覚えていない。
図書館を出た後散策を再開し、あらかた見終わったところで帰った。京都駅到着後続けて外食をとったので到着が遅れた。宿到着は18時前か。

松野下班/大阪・有馬
京都駅を発ち、大阪府堺市の三国ケ丘駅へ。仁徳天皇陵大仙古墳を始めとした古墳群を眺めつつ、方違(ほうちがい)神社へと向かう。
この神社は崇神天皇の勅令を起源とし、後に応神天皇が方違宮として創建した。このあたりは三国ケ丘と呼ばれる地域で、これは駅名にもなっているが、摂津、河内、和泉の三国の堺にあたる地であり、そのため、古来より方違えのご利益があるとして親しまれた。2000年以上の歴史を誇る神社だが、焼失の憂き目に幾度も遭っており、社殿は比較的新しいものだった。
そこから西方に歩き、開口(あぐち)神社である。この神社も相当の歴史を持っており、起源は神功皇后による祭祀だという。祭神の1柱、塩土老翁神は住吉三神と関わり深いとされ、住吉三神を祀る住吉大社の起源も神功皇后の勅令であることから、住吉大社と同時期の創建だと推測される。境内には地元の高校の発祥である旨が書かれた(神仏習合により、寺子屋が開かれていたか?)石碑や生家が付近にある与謝野晶子に関する歌碑などが設置されており、地域との密着が見て取れた。
宿院駅から南海電鉄で、住吉鳥居前駅である。住吉大社は全国的に有名な神社で、そのためか外国人観光客も多くいた。住吉三神の名で知られる底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)を祀る住吉大社は航海や海運に縁がある神社として人々の信心を集めており、歴史的に見ても、幕府や武士から厚い信仰を受けたとされる。社殿は3つあり、それぞれ住吉三神のうち一柱ずつを祀っているが、これは同じく海運を司る宗像三女神が鎮座する宗像大社と同様の構造である。また、境内には大日本帝国海軍の軽巡洋艦「加古」の元乗組員によって奉納された加古の絵画や、海上自衛隊隊員によって航海祈願がなされた絵馬など、軍事の方面からの信仰も厚いことを伺わせるものがいくつかあった。住吉大社を参拝後、住吉大社創建以前から鎮座するという生根神社を訪れた。
粉浜駅から平野駅へ移動しようとしたのだが、新今宮駅で乗り換えミスを犯したため、先に放出駅へ行くことにした。
放出駅から徒歩数分にある阿遅速雄神社を参拝した。この神社は祭神である阿遅鉏高日子根神がこの地に降臨したことのほか、草薙剣が盗難された際に、盗難者が嵐に出会って剣を放り投げたことを起源とすると伝えられる。また、地名である放出はここから来ているらしい。しかし、境内にはこうした由緒や逸話などの記された文書が全く存在せず、残念だった。
放出駅を南下して、平野駅で下車。駅から少し歩いたところに杭全神社はある。この神社は延喜式には記載されておらず、なぜプランに組み込んだかは自分でも不明だ。神社によると、9世紀平安時代に牛頭天王が勧請されたのが創建という。その後、後醍醐天皇によって熊野三所権現が勧請されたことで、現在の形になったそうだ。境内は拝殿を中心に本殿や摂末社などが取り囲む構造になっており、公園と隣接することもあってか、地域の人々に親しまれているようだった。
次に参拝した香具波志神社も同様に、延喜式には記載されていないが、平安時代の創建である。社名は、孝徳天皇が歌で「香し」と詠んだことから。こちらもなぜプランに含めたのかは不明である。
加島駅から、いくつか乗り継いで有馬へと至った。遅めの昼食を摂ったあと、康貴という温泉処で一休みした。その前に、観光案内所で温泉むすめのパネルを撮影し、感慨に浸った。
さて、康貴であるが、この湯はこじんまりとした浴室ながらも、源泉かけ流しの金泉・銀泉が愉しめることで知られており、訪れてから入浴するまでに少々時間を要した。入ってみると、金泉の方が高温であり、また、濃度が高いためか少し肌がピリピリするような感覚に襲われた。しかし、それは効能の裏返しであり、金茶色に濁った金泉が持つ本来の癒やしの力を味わうことができた。一方銀泉は、温度が比較的低く、湯に透明感があるため、金泉よりも入りやすいような気がした。個人的にはあまり好きな温度ではなかったが、金泉と銀泉に交互に入ることでより長く楽しむことができた。
康貴を出て、自分としては別の温泉へ行っても良かったのだが、班員が十分だというので、自由行動に移行した。自分は有馬の土産物屋などを物色し、そこで発見したパッケージが温泉むすめのデザインである「炭酸せんべい」と試食担当のお姉さんがやけに強く勧めてきた「金泉焼」を購入した。「炭酸せんべい」は有名だが、「金泉焼」は生八つ橋に近い食感をした焦し醤油風味の生菓子であり、ほどよく弾力のある生地とその中に包まれた甘さ控えめの粒餡とが絶妙なコラボレーションを見せる、よい菓子であった。
京都へ帰還する途中で西宮神社に立ち寄った。えびす様を祀ることで有名だが、主目的は某作品の聖地巡礼である。予定を立てる際にJRの駅と阪神電鉄の駅を取り違えたために、駅からの時間を誤ってしまっており、若干エクストリーム気味の参拝となった。ちなみに、類似した別の場所と間違えており、聖地巡礼は結果的に失敗であったことが後に判明した。
東海道本線快速と新快速で京都へ帰還し、ホテル到着は1940頃。
プロフィール

麻布学園地歴部

Author:麻布学園地歴部
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